01/31/11
先週木曜からフロリダに行っており、昨日の深夜に帰ってきました。私が教えている親子コミュニケーションコースの創始者であるKathryn Kvolsから直接ディレクター・トレーニングを受けてきました。彼女が30年以上も前にRedirecting Children’s Behaviorというコースを作るとともに、同タイトルの本を書いたのです。全米のみならず、世界の14ヶ国でも教えてられているということも知りました。
また、今回詳しく聞いたところでは、Kathrynの夫であったBill Riedlerという人が二人でRemembrance Course(当初はUnderstanding Yourself and Othersという名前でした)やそのほかのパーソナル・ディベロップメントのコースを作ったのです。このRemembrance Courseも最初は週に1度、6週間のコースだったそうなのですが、数年後に今のような週末のコースに変えたということでした。当然、最初のうちは創始者のKathrynとBillの二人で教えていたのだそうです。1970年代の話です。その後、二人が離婚することになり、ビジネスでそれぞれが気に入っていた部分をとって、Kathrynはこの親子コミュニケーションコースに注力してInternational Network for Children and Families(INCAF)を作り、Billはパーソナル・ディベロップメントのコースを行うGlobal Relationship Centerを作りました。その後Billは病気で死亡、私のメンターでもあるPamela Dunnが引き継ぎ、現在のYour Infinite Life Coaching Companyとなりました。
Kathrynは再婚してもう20年になり、前の結婚からの子供たちも合わせて7人家族です。見慣れた写真から比べると年はとっていましたが、目がとてもきらきらしてエネルギーあふれる、それでいてとても柔らかな雰囲気を持った魅力的な人でした。声や表情の雰囲気が「サウンド・オブ・ミュージック」のマリア役のジュリー・アンドリュースを彷彿とさせる感じでした。3日間にわたり、このコースのインストラクター・トレーニングを一緒に受け、また一緒に教えました。3年前にSusie Waltonに受けたトレーニングでしたが、改めてこのコースの奥深さや、子どもを大切にし尊重する哲学に触れ、これからの課題に対する決意を新たにすることができました。住む場所は違っても同じ志を持った仲間に会えたことも大きな収穫のひとつでした。また、今回は、子どもに命令をしたり脅したりすることが脳の中でどのように反応しているかという部分の情報も加わり、より論理的な説明もできるような指導がされていました。ますますパワーアップした親子コミュニケーションコースをこれからも開催し続けて行きます。
01/27/11
現在アメリカで大変な論議を呼んでいる“Battle Hymn of the Tiger Mother”という本があります。この本は中国系アメリカ人の母親が自分の子育てを振り返った自叙伝という形で書かれており、メディアではまだ幼なかった娘たちに対して何時間もピアノの練習をさせたり、次女からの手作りの誕生日カード突き返したりというようなエピソードが取り上げられています。控え目にいっても彼女の子育ては「かなり厳しい方針」と言えるでしょう。アマゾンでもこの本の評価は真っ二つに分かれています。私はまだ本を読んでいないのですが、最新号のTIME誌でこの話題が著者のインタビューとともに取り上げられていました。それによると、著者のChua自身もこのような厳しい方針で育てられたそうです。著者の「子供の頃、親が選択肢を制限して厳しく躾けられ、可能性を最大限に生かせるように育ててくれたおかげで、大人になってからの選択肢が広がった」というコメントが印象的でした。TIME誌は心理学者の調査なども引き合いに出しながら、たとえば計算ドリルなどをとことん繰り返させ、考えなくても出来るレベルまでもっていくことで、もっと高いレベルの思考をするだけの余裕が脳に生まれることから、ひたすら繰り返しや練習をさせることに意味があるという指摘をしています。一方で、親子のあたたかい心の交流の欠落や、言葉による脅しやプレッシャーが子どもに与える悪影響という観点から問いかけを受けた著者は「確かに(たとえば、長女を”garbage”(ごみ)と呼んだというエピソードなど)やりすぎたという部分はある」と認めるコメントが載っていました。
本の出版から大変な論議を読んだおかげで、著者のところにも様々な感想が寄せられているそうです。「やりすぎだ」という声がある一方で「自分の親ももっとプッシュしてくれていたら、もっと大きなことができたかもしれない」という感謝の声もあるということでした。確かに、「そこそこ」ではない、抜きん出た技術を磨くためには、長い間の鍛錬が必要ですし、子どものうちからそれをやらせるためには親の確固たる方針をもとにきっちりと導いてやらなければならないという面はあるでしょう。「あなたはもっとできるはず」という言葉や態度で、最大限まで努力をさせること自体は必ずしも悪いことではないと思います。でも、一方で、そこに無条件の愛情はあるのだろうか?あるいは、無条件の愛情をきちんと感じさせることはできるのだろうか?と感じます。親自身はもちろん「あなたのためを思うから言ってるのよ」「あなたには出来るはずと信じているからプッシュするのよ」と知っているし、それを言葉では子どもに伝えるでしょう。でも、子どもが「たとえお母さんの期待に応えられなくても、自分は価値のある人間なんだ」「たとえ最高の成績が取れなくても、お母さんの愛情には変わりがないんだ」と、頭でなくハートで感じることができるでしょうか?
TIME誌の記事は、最後に「中国系ではあるが、この本のストーリーは”Quintessentially American” 、典型的なアメリカの物語だ」と結論付けています。移民としてアメリカにやってきて、身を粉にして働き、子供でも言い訳の余地なしに粘り強く頑張ることが成功の秘訣だと言われたら、それに対して反論の余地はほとんどない、と。著者の娘たちは今10代後半になっており、自分の子供たちにも同じような躾をするだろうと言っていることから、今となっては母親のChuaに対して感謝していることが伺えます。彼女たちは、自分たちがそこまで「優秀」でなかったり、親の期待するようには才能を発揮できなかったとしても、親の愛情には変わりがないと心から実感しているのかどうか、とても興味深いところです。著者の言うように、アメリカの典型的な親が「なんでもないこと」に対して子供に賞賛の声を浴びせて、その結果、子どもが褒められないと動かない子どもになってしまったり、「ひ弱」になってしまうという一面はあるかもしれません。でも、学校の成績や他人からの評価がここまで内面化(人間の価値を左右する原因となっている)されている社会において、子どもが生きる中で経験する挫折や失望を乗り越えられる強い心を持った大人になっていくには、条件つきでない愛情をどのように、どれほど感じさせることができるか、ということが、とても大きな意味をもつと思います。アマゾンのレビューでは「著者が娘たちがいかに成功を修めているかがさんざん書かれている」というものもありました。実際のところを知るために、やはり本を読んでみるつもりです。
01/03/11
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。
これは村上春樹の「1Q84」の2巻目の帯に書かれていた言葉です。
12月に日本で第3巻を入手したことをきっかけに、改めて第1巻から読み返していて見つけました。最初に読んだときには特に気に留めなかったのですが、2010年の終わりにこの言葉を見つけて、なぜかとても気にかかっていました。
その理由のひとつとして、「感じる気持ちには良し悪しはない」という考え方があります。私が教えている親子コミュニケーションコースでは、「『ポジティブな感情』・『ネガティブな感情』という価値判断は私たちが勝手に行っているだけで、どんな感情もそれ自体は中立である」というコンセプトを提案しています。例えば、子どもが何らかの事情で泣き出してなかなか泣き止まないとき、私たちは場合によってはとてもいらいらしたりします。
でも、「泣くこと」自体はよくないことでしょうか?
泣くことにはいろいろな利点もあります。大人の私たちでも、泣きたいだけ泣いたあとというのは気分がすっきりしたりするものですよね。適切な形での感情の表現や発散は必要なものだと私は考えています。
たとえば、痛みや悲しみなど、一般的には『ネガティブ』とされている気持ちを感じることは「つらい」という思い込みにより、その気持ちに浸ることを避けてしまった場合・・・じっくりと感じつくされなかった感情や、表現する場のない感情というものは体内にたまっていきます。ストレスや心配事をうまく発散したり解決したりできずにそのままにしておくと病気になってしまうことは、多くの人が自ら体験したことがあるか、あるいは体験した人を知っているのではないかと思います。
村上春樹の「1Q84」は小説ですが、この言葉は私にとって非常にリアルな響きがありました。心の中で何かを思ったり考えたりしても、それをその場で思いのままに表現することが不適切であれば、そうせずに生きていく術を大人であればもっていなければなりません。そのスキルを持たなければ、普通に社会生活を送ることも難しい場合もあるでしょう。でも、心の中で感じたけれど、何らかの形で表現しなかった、あるいはできなかったことは、そこに別の世界を作り上げていき、場合によってはその人の現実の世界にも影響を及ぼしていくとしたら・・・それが本当であるなら、人は心の中で思ったことについての責任のようなものをいずれ何らかの形でとることになる、ということかな・・と、正月気分をあまり感じさせないアメリカで迎える新年の2日目に考えました。
2011年、どんな形で私の心の中のものごとが実現化していくのか、または別の世界を作り上げようとするのか、楽しみでもあり、また心していかなければ、という気持ちがしています。皆さんは今年実現させたいものごとについて、心の中にどんな絵を描いていますか?心の中にある、「こうはなってほしくない」という気持ちについてのケアはできていますか?