Archive for the 'パーソナル・ディベロップメント' Category

2012年が始まりました

01/09/12

早いもので新年最初の一週間が過ぎました。今年は数週間後に出産を控えているため、「今年の目標」と言われればまず「無事出産すること」が思い浮かびますが、同時に「毎日を意識的に過ごす」ことを心がけたいと思っています。「多くのことを成し遂げる」というよりは、いかに毎日、毎時間、毎分、あるいは毎秒を「今これをやっている」あるいは「こういう気分である」ということに注意を払って過ごせるか。つまり、”Be Present”ということですね。頭では理解していても、実践するのは難しいコンセプトですが、妊娠、出産、新生児のお世話という、ある意味自分ではコントロールできない要素が多い出来事を体験するチャンスを与えられているので、”Doing”が制限されることやその不自由さにイライラするよりも、”Being”により重きを置いた時間にしてきたいと思っています。

そんなことを考えていたら、ちょうど一年前に実際に初めてお会いする機会のあった堀正岳さんのブログ記事「人生3万日だと思ってはいけない」に遭遇しました。義理のお姉さまを亡くされるという突然の不幸に、改めて“There is only today” ということを思い知らされた・・・という内容でした。こうした突然の出来事を前にして、私たちにできることは、やはり今を大切に生きることです。言葉にすると本当に陳腐でありきたりですが、今の状況は永遠に持続しないということを忘れずにいること、あるいは毎日自らにリマインドし続けて意識的な生活をすること。たとえその時選ぶ行為が「横になって休む」だったり、「テレビドラマを見てリラックスする」ことだとしても、そういう目的をもっていると自覚しながら行うこと。長期的な計画や目標を立てるなということではなく、それを念頭におきつつ「その実現のために今何ができるか?」と、常に「今」に置き換えてみること。その上で「今」を心地よく過ごせているかどうか、過ごせていないとしたらどうすれば変えられるのか。状況をその時点では容易に変えられないのだったら「心地よくない」と感じる気持ちを変えられないか。そんなことを心がける年になりそうです。

尾びれを無くしたイルカ”Winter”の物語

11/14/11

先日家族で”Dolphin Tale”という映画を見てきました。傷ついたイルカが尻尾切断という現実に直面、人間が人工尾びれを開発してこのイルカを救い、今では戦争や病気などで腕や足を無くした人々に勇気を与える存在となっているという、実際に起こった出来事をベースにした物語です。

映画のあと調べてみたところ、ストーリーの多くは映画用にドラマチックな効果を狙って作られたフィクションなので、”inspired by true story”という表現がふさわしいということでしたが、何と言っても実際に尾びれを無くしたWinterというイルカが映画でも自分自身を演じていて、そのことだけでもこの映画にリアリティを持たせています。

普段シーワールドでイルカを見慣れている子どもたちも、2時間近い長い映画に飽きることなく見入っていました。映画の主人公である11歳の少年がこのイルカと心を通わせ、一緒に泳ぐシーンなどは、改めてイルカという動物の知能の高さや美しさにはっとさせられました。また、映画では戦時下のアメリカらしく、この主人公のいとこが戦争で負傷し足に障害を負うという設定になっており、彼がイルカとの交流を通してショックから立ち直り前向きに生きていくというシーンもありました。この少年やいとこの存在などはフィクションですが、実際にイルカのWinterのもとには足や腕を無くした人々が常に訪れています。

映画の最後のクレジットが流れるところでは、実際のイルカを救出した場面や、人工尾びれを開発して試しているシーンなどの記録がドキュメンタリー風に挿入されていました。イルカを傷つけたのも人間なら、それを救うのも人間。また、今ではこの”WinterGel”と呼ばれる、Winterのために開発された物質が人間の義足にも応用されているそうです。

このイルカのいるプールにはウェブカメラが取り付けられていて、Clearwater Marine Aquariumのサイトから見ることができます。記事を書くにあたり調べたところ、日本でも実は同じような出来事があったことを知りました。ブリヂストンのサイトでは「イルカ人工尾びれプロジェクト」について紹介されています。

ストーリーや演技をというよりは、イルカのWinterを見に行く映画だな・・と感じました。家族連れには特にお勧めです。

目標を持たない生き方

08/05/11

今年の6月、ポートランドで参加したWorld Domination Summitのスピーカーの一人にLeo BabautaZen Habitsという有名なブログの著者)がいました。彼は、その昔はヘビースモーカーで太っていて借金まみれだったのですが、あるとき一念発起して少しずつ生活を変えていき、今では借金はすべて返済し、シンプルな暮らしをし、マラソンを走るベジタリアンになり・・・という大変化を遂げました。その変化の過程を書いたブログが大変な人気になったのです。そんな彼のプロフィールについては知っていたので、話を聞く前は「どうやって習慣を変えるのか?という話だろう」と予想していました。

実際に講演が始まると、予想通り「新しい習慣を取り入れるには」という話もしてくれたのですが、それとともに、今自分自身が向き合っているチャレンジのひとつとして「目標を持たない生き方」について語っていました。壮大な目標をうちたて、そのためのステップを細分化して毎日の”To Do(やること)リスト”にして・・といった、自己啓発セミナーでおなじみの目標達成手法とはまったく違った提案に少し意外な感じがしました。Leoは、「これといった目標を持たずに、毎日『これをやりたい!』ということだけをして生きることを目指している」と言っていました。

彼の講演を聞きながら「ふーん、そんな風に目標を持たないで好きなことだけやって生活して行けたら、それは確かにいいよね・・」と思ったことは確かです。ただ、今まで私が慣れ親しんできた考え方、つまり「やりたいこと」を決めて、達成したい時間軸を決めて、そのためのステップを細分化して着実にやっていく・・・というのとはあまりにも違う考え方だったので、その時は「そういう考え方もあるだろうが、自分はあまり関係がないな・・」という感じでそれほど真剣にとらえていませんでした。でも、その後7月に入ってから体調を崩し、それまでやっていたように「朝から晩までバリバリと課題をこなす」ことができなくなってから、ふと彼の言葉を思い出すようになりました。

朝起きてから「今日ひとつだけ片付けるとしたら何をするか?」と問いかけ、それだけできればとりあえず「よし」としてみる。ひとつといわず、幾つもこなしたいのはやまやまなのですが、体調というある意味どうにもならない制約がある時、ひとつだけを目標にし、それができれば「今日はOK!」と思うのか、それとも「ひとつしかできなかった・・」と自分を痛めつけるのか、どちらが精神衛生上より良いのかどうかは考えるまでもありません。ひとつでも達成できたことに気分を良くし、感謝し、でもいつかやらないといけないんだけど・・ということはとりあえず紙にでも書き出して「よし」としておく。そのくらい気楽に構えていれば、予定通り出来なかったことに対するプレッシャーのためにますます出来なくなることだけは免れそうです。

Leoによると、「毎日ひとつだけ目標をもつ」ということは、「まったく目標を持たない」の一歩前の段階なのだそうです。体調による制約という、ある意味不本意な状況になったことによって、図らずも「毎日これだけはやりたいと思うことだけを行う」という方向には進んでいるような気がします。多くの人にとってのチャレンジは「毎日やりたいと思うことだけを行う」ということでしょうが、このあたりは、ライフハック的な考え方と、いろいろな「法則」が必ず言及する「感謝の気持ち」を持つことで対応できそうです。もし「やりたいこと思わないことだけで毎日が構成されている」という場合には、このスティーブ・ジョブスの講演を見ることをお勧めします(このクリップは講演の後半部分です)。

比べないこと

04/27/11

4月ももう少しで終わろうとしています。中旬に体調を崩し、回復に向かっている最中です。ちょうど、親しい友人も調子を崩していたことがあり、彼女に「自分に優しくして」などと助言をしていたときでもありました。「自分に優しく」とは具体的にどういうことでしょうか?

「人と比べることは意味がない」というような言葉を時々耳にします。比べる対象は、目標としているような人であったり、調子のいいときの自分のときもあるでしょう。震災があった直後、多くの人は無意識のうちに、被災者と自分の置かれた状況を比較して「命があるだけでもありがたい」「愛する人が生きているだけでも・・」ということを思ったでしょう。これはごく自然なことです。でも中には、自分が直接被災したわけでもないのに、落ち込んでしまった人も少なからずいたと思います。

2月末に、近所のRock Churchというキリスト教の教会に、ニック・ボイジッチ(Nick Vujicic)という人が、その教会の選任牧師の代わりにミサを執り行うためにやって来ました。ニック・ボイジッチさんは、自らもロング・ビーチというロサンゼルス近くにある教会の牧師です。生まれつき両手両足がない彼は、青年時代にはやはり自殺も考えたほど苦しみましたが、キリスト教のメッセージに目覚め、今では自分の教会を持っています。友人から彼がサンディエゴにやってくると聞いて、家族でこの教会に行きました(大規模な教会で、施設も充実しており、ミサの間子どもたちを預かってくれるのです)。実際にライブで彼のスピーチを見たとき、ニックさんはエネルギーに満ち溢れていました。また、自分に両手両足がないことをネタにしたジョークも連発していました。何と、飛行機の機内で荷物を置く棚に隠れて人をびっくりさせるといういたずらもしたことがあるそうです。これには3階建ての会場満杯の聴衆も大爆笑でした。

ニックさんは、人と比べないことについて語っていました。「僕に会った人は、僕に両手両足がないのを見てみんなびっくりする。そして『ああ、君は大変なんだな。(自分は五体満足なんだから)もう月曜日の朝に仕事に行きたくないなんて文句を言うのはやめるよ』なんてことを言う。でも、僕は言うんだ。『だって、月曜日だろ。無理ないさ』って。」人はみんなそれぞれの現実で生きているわけなので、自分よりももっと大変な状況にある人がいるからといって、自分の悩みがなくなるわけではない、ということを彼は言っていました。自分が不幸でどうしようもないと感じられる時に、大局を見ればそこまで悲観したものでもないよね、とか、もっと大変な人もいるんだから、こんなことで弱音を吐いては・・・という考え方は「正論」だし、それでエネルギーが沸いてくる時もあるでしょう。でも、「もっと大変な人がこんなに頑張っているのに」と比べることによって、さらに「だめな自分」と言う風に落ち込んでしまう時もあるのです。今回気がついたのは、素晴らしいエネルギーを放っている人に触れて元気がでるのか、あるいは余計に落ち込んでしまうのかという違いが、自分の調子のバロメーターになっているということでした。良質の刺激を受けても元気が回復しないどころか、比較してしまってさらに気分が落ちこんでいるときは、もう少し深い癒しや、長い休養期間が必要なのかもしれない、と。そしてそんな時には「人と比べないこと」こそが自分に優しくすることであり、回復の第一歩なのかもしれません。哲学者プラトンもこう言っています。

“Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle.” (優しくしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。)

「あなたが会う人」の中に、自分自身も含まれています。人と比べることで自分をいじめないように。時には病気になることも自分に優しくしなさいというサインなのかもしれません。

人はなぜ「やりたいこと」をやりたくないか

04/05/11

「私の目標はXXをすることです」とゴール設定をしても、そのための行動をなかなか起こせないことってありますよね。私も去年は「ギターを習得する」という目標をたてましたが、1年以上たっても一向にすべてのコードが覚えられません。コーチという職業柄、私はいろいろな方とお話をし、「実はこれこれがやりたいんです」というお話をお聞きします。実は「このゴールを達成するために何をしたらいいのか」という方への助言は比較的シンプルです。もし、その目標が多くの人がすでにやっていること・一般に知られていること(何らかの資格試験に合格する、ダイエットをする、楽器を習うなど)であれば、「すべきこと」はある程度明確ですね。この点の情報収集はやる気があれば自力でも十分に出来るでしょう。

でも、「やるべきことははっきりしている。でも中々できない・・」という場合は、「何を」ではなく「なぜ」あるいは「どうやって」を考えてみなければなりません。例えば、「素敵な人と出会えないかしら」と思っている人がまずやるべきことは、出会いのチャンスを多くする行動、そして出会いたい願望があるという意思表明です。でも、そのときに「そういった場に行くのが億劫」とか「そんなことを周りの人に言ったら、何て思われるか?」などという理由をつけて、結局行動を起こさず、時が過ぎていく・・・ということもあります。これはどうしてでしょうか。なぜ人は「やりたいこと」をやりたくないのでしょうか?

ひとつには「習慣」が挙げられます。今までのやり方を変えるということは実はとても大変なことです。私たちの行動や考え方は習慣に支配されていること、そして私たちが無意識にとっている行動のほとんどは、ライフハック心理学の佐々木正悟さんが言うところの「習慣の勝ち抜き組」、つまり小さいころから今まで、何らかの理由で私たちが選んできた一連の行動の集大成なのです。それだけに、新たな習慣をつけることにはそれなりの努力が必要です。よく「30日間毎日行うと習慣になる」(事項によっては60日だったり、90日だったりします)と言うのはそのためです。「今日から週に1回これをしよう」と思っても中々続かない理由がここにあります。

でも究極的には「なぜそれをやりたいか」よりも、「なぜそれができないか」という理由のほうを自分が大切にしているから、ということではないでしょうか。頭では「これを実行したい」と思っていても、その「なぜ」が明確でなかったり、現状にさほどの苦痛を感じていなかったり、目標を達成して手に入れられるはずのものを全身全霊で信じていなければ、なかなか現在の心地よい場所から出て行くことはできません。言い方を変えれば、実行に移さずにそのまま時が過ぎていっても、実は現在の状況がそれほどイヤではない、ということです。私のギターの例で言えば、ギターをいまだに習得していない理由として「時間がない」「練習していると子供たちが寄ってきて触りたがるので中断せざるを得ない」などがありますが、実はギターを習得するために時間を作り出す行為(子どもたちが寝た後に好きなドラマを見たり、ブログを書いたりすることを我慢する)をしたくないからです。また、ギターを演奏できたらどんなに素晴らしいだろうか(達成して得られるもの)ということについての感情的なインパクトがそれほどない、というのも大きな理由でしょう。「演奏できたらいいな」くらいには思っていますが「絶対にマスターしたい!」という強い気持ちがないのです。

このことを「優先順位」という人もいるでしょう。村上春樹の「やがて哀しき外国語」という本の中で「そんなに何もかもは出来ない」という一節がありましたが、まさにそれです。無限の時間や可能性があるように思えた子ども時代が終われば、誰でもいつかは限られた時間の中で(意識している・いないに関わらず)優先順位に従って、「何をするのか」を選択をしていくことになります。コーチングが目標達成の過程をスピードアップできるのは「何をやるのか」の部分もさることながら「なぜそれをやりたいのか」「どうやってやるのか」のプロセスを、あたかもパーソナル・トレーナーが一緒にトレーニングをしてくれるように、一緒に考え伴走してくれる人がいるからにほかなりません。日本では新しいことを始めたくなる4月。「やりたいこと」を「やりたくない」ままに時間が過ぎていく・・・と思っている方は、ぜひコーチングも検討してみてください。

“Test Your Mettle”

03/23/11
震災からもうすぐ2週間がたとうとしています。この間、ここアメリカでも様々な活動が行われてきました。南カリフォルニアに住む友人たちは、震災後一週間で「チャリティ・イベント」を立ち上げ、一日で300人以上の人が詰め掛けてファンドレイジングを行いました。私も行きましたが、主催者と協力者の思いが一体となり、とても良い気を放っていましたし、また素晴らしい成果をあげたようです。そちらの様子は主催者の一人でもある友人によるこちらのブログで読むことができます。
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日本で生活する人は、被災地にあってもそうでなくても、様々な選択を迫られるような状況となっています。直接被災した方々ばかりでなく、そうでない地域にいる人にも様々な影響が出ています。震災直後の数日と違い、被災地の人をどのように助けるべきか、イベントなどを自粛すべきか、首都圏における放射線は危険なのかそうでないのか、避難したほうがよいのかどうか・・・さまざまな意見が交わされています。中には、どこに向けてよいのかわからない悲しみや怒り、将来に対する不安を(誰にでもよいから)ぶつけてくる人もいます。

英語で”Test your mettle”という表現があります。”You are facing a crisis that tests your mettle” (あなたは自分がどんな人間であるかが試されるような危機に直面している) のように使われます。震災以来、この言葉がいろいろな時に頭に浮かびます。周囲の人の言動に腹を立てている人も、不安でいろいろなことが手につかない人も、こんな状況であなたはどんな風に振舞えるか?ということが常に試されているのです。例えば、先日私は「逃げたと言われるかもしれないけど・・」という題のブログ記事を「成功する国際結婚ブログ」に書きました。それに対して反対の意見を述べるコメントがつきました。コメントは承認制なので、誹謗中傷は掲載しないという選択もありますが、口調は丁寧ですし、私は中傷とは受け取りませんでした。実は私はそのコメントを見たとき、その人の「悲しみ」を感じました。詳細は不明なので想像するしかありませんが、おそらく私の書いたことの何かが彼女の心の柔らかい部分に触れたのだと思います。書かれた言葉は「怒り」でしたが、私には彼女が「逃げた人は私(たち)を見捨てていったのだ」と泣いているように感じられました。あなたの言うことは間違っている、怒りを感じる、と言われて、今度は自分が傷つかないように心を閉じることもできるでしょう。でも、その「怒り」という言葉を超えて、やりきれない思いをぶつけるような形で表現している相手の心境になった時、私が考えた、その時点でできる最も愛情に満ちた行為は、説明も反論もせずそのコメントをそのまま載せることでした。

震災後も今までどおりのブログを書くことを表明したら、ものすごい批判がきてブログを閉じようかと思っているところまで追い詰められた人の話を聞きました。ブログという形であっても自分の意見を発信することには常に「自分に賛成しない人がいる」というリスクが伴います。ある意味、強くならなければ情報は発信できないという面もあります。でも、例え、厳しい口調で批判してくる相手がいたとしても、その言葉を額面どおり受け取らない、あるいは「パーソナルにとらえない」こともひとつのコツではないかと思います。相手の言葉を自分への攻撃と受け取れば、腹がたったり傷ついたりすることもありますが、それぞれがそれぞれのもっている人間の性質そのものを試されているようなこの状況で、その人なりのニーズがあってその言動をとっているのです。ブログでなくても、周囲に失礼な言動をとっている人が身近にるかもしれません。もしかすると、被災地で行方不明の親戚や友達がいるのかもしれません。そのつらい気持ちやニーズの表現方法が明らかに歪んだものであれば、自分の精神衛生を犠牲にしてまで付き合う必要はないでしょう。でも、全ての人は自分にできる精一杯のことをしているのだと信じて、またいつ自分も、被災したりつらい目にあって、そういう立場になるかもしれないと思えば、表面の言動を超えた相手のニーズを推し量ることができるかもしれません。

相手を知ると自分も変わる

02/25/11

よくビジネスなどの交渉ごとの場面で「”Win-Win”を目指しなさい」と言われます。Win-Winとは、文字通り「私も勝ち、あなたも勝つ」という意味です。アメリカではSteven Coveyという人の書いた”Seven Habits of Highly Effective People”という有名な本(日本語では「7つの習慣」)で広く知られるようになった概念です。この「どちらかが勝ち、どちらかが負ける」のではなく両方にとってよい解決方法を考えよう、というのは、RCB親子コミュニケーションコースでも兄弟げんかや夫婦喧嘩などの際の解決方法として提唱しているツールです。実際、うちでも子供たちが喧嘩を始めると「どうしたら二人ともハッピーになれるか」という問いかけをしています。

最近、このWin-Winについてもう少し考える機会がありました。ある人と自分との間にどうやら意見の食い違いがあるようなのです。相手と話し合う前に、自分が現時点で考えられる妥協のポイントをあれこれ考え、検討している私を見て、夫から「”Win-Win”の最初のステップは相手を理解すること。それから自分を理解してもらうことだよ」という助言がありました。彼は今まさにこのSteven Coveyの本をオーディオブックで聴いている最中なので記憶も新しく、次のエピソードについても話してくれました。

Stevenは本の中で「子供たちが騒いでいるのをとめもせずにボーっとしている父親」について説明していました。最初は「なぜ注意しないのだ」と苦々しく思っていたが、ついに耐えかねて「子供たちを注意したほうがいいのでは」とその父親に話しかけたところ、その父親は「実は彼らの母親(自分の妻)が亡くなったばかりで・・どうやって子供たちに話せばいいのか検討もつかないのだ」ということを打ち明けてきたというのです。その話を聞くまではStevenにとって彼は「子供を注意しないダメな父親」でしたが、話を聞いた今となっては「ぼーっとしているのは無理もない、何かしてやれないだろうか」と、状況を理解し、その不運を思いやる対象となったのです。当然、その時点では「では自分は相手に何を望むか」も以前とはまったく違ってきます。

夫は続けて「相手の状況をまず理解したら、その時点で自分は変わっているかもしれない。だから相手の状況を先に聞いて理解した上で、それから考えればいいんじゃない」と言いました。私たちは得てして「XXは~と思っているのに違いない」という推測をもとにあれこれと考えをめぐらせますが、実際のところは聞いて見なければわかりません。相手の話を聞いて自分の理解が深まり、その結果相手に対する気持ちが少しでも変わってくれば、その時点で自分が相手に対して望むことが変わる可能性もあるでしょう。最初のステップはこれからですが、とりあえず思い悩む前にまずコミュニケーションをとり相手を理解すること。そこから考えても遅くないと思った出来事でした。

声でわかる心の中

02/23/11

先日放映したインターネットテレビ番組”Wealthy Life TV”は私が「声でわかる!あなたの心の中」というテーマで話をしました。自分が心の平穏さを失ったことは、声にすぐに出ます。発している言葉そのものではなく、声のトーンや言い方に現れるのです。これは自分の周囲の人のことを考えてみれば容易に想像がつくでしょう。例えば「ありがとう」という、言葉そのものはポジティブな言葉でも、その言い方がつっけんどんだったり、皮肉っぽかったりすることで、その人の本心が見え隠れするような気分になる体験は誰にでもあると思います。

自分の声が平穏さを失ったとき、「カスタマーサービスの対応が悪いからだ」「XXが~だからだ」という風に自分以外の誰か(何か)のせいにするのはよくある反応です。でも、本当にそうでしょうか?「機嫌の悪さ」というのは実は自分で選択しているのです。あらゆる状況に対してどういう感情を持つかということは自分で選ぶことができます。「感情に押し流される」「感情はどうしようもない」という表現がありますが、より正確には「湧き上がる感情のまま行動することを選んでいる」ということになります。

一瞬、一瞬ごとに、自分がどう感じるか選択することができ、自分の声はその格好のバロメーターです。ひとつの注意点としては、カップルの方は、この知識を「相手の声が平穏でないことを指摘するツール」として使うのではなく、あくまで自分の心をモニターする手法として使うことをお薦めします。一番身近な相手に常に心の状態を指摘されるのはかえって喧嘩のタネになりかねませんから・・・

先日の番組はこちらからご覧いただけます(冒頭にコマーシャルが入りますがその後始まります)。

待つこと

02/18/11

去年の1月に「本を出版したい」と思い立った時から、実際に本が出るまで、約1年ほどでした。実際には、「本を出そう」と思ってから、出版してくださった主婦の友社の方と出会うまで、企画書をお渡ししてからそれが通るまで、そして原稿を書き上げてメールで送り、フィードバックを経て追加原稿を再び送ってから本が実際に出来るまで・・・様々な段階で「待つ」という時間がありました。また、今も今年出したい(書きたい)と思っている本のことで返事を待っている状態です。

昨今、出版されている方は世の中にたくさんいらっしゃいますし、中には次から次へと本を出している方もいらっしゃいます。そんな中で、私はまだ「著者」と言っても本当に「序の口」程度の位置にしかおりませんが、そんな私が1年足らずの経験から学んだことは「待っているときに何をするか」ということです。

待っている時、ときに人は弱気になります。そういえば、中学で私立を受験したとき、高校時代にAFSという留学試験を受けたとき、大学受験をしたとき、大学院を受験したとき(アメリカの大学院に進学するためGREという試験を受けたら先方の手違いでスコアをなくされたことがありました)、国連に入るためのJPO試験を受けたとき、サンディエゴ補習授業校の事務局長の面接を受けたとき・・・人生の岐路ではみんな「結果を待つ」という経験をしてきています。昔も、それぞれの試験を受けたときにはそれなりにドキドキしたり、弱気になったりしながら待っていたのでしょう。なんだか久しぶりにその感じを思い出しました。

待っている時に何を考えるか?によって、その待っている結果が変わるなんてことはあり得ない、と思うかもしれません。でも昔よりも年を取り、少しだけ知恵がついている今はこう思います。待っている時に「もうだめなんだ」と考えても、「いや、絶対大丈夫」と思っても、おそらくその待っている結果自体には変わりはないでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますが、やるだけやって(やれなくても)その結果を待っているなら、それはもう自分の手を離れています。でも、その待っている間にどんな気持ちで何をするのか?によって、その次の展開が違ってくると思います。待っている時に、待つことの緊張感に耐えられず弱気になり、何をする元気もなくなるという状態に甘んじるのか、それとも、たとえ思ったとおりの結果が得られなくても、すぐに次の手を打てるように「プランB」を考え、行動するのか。これを書きながら、昔見たタイガー・ウッズの広告を思い出しました。次のショットを打つという姿とともにこんな文句がついている写真です。”10% is what you just did. 90% is what you do next” ゴルフの試合では技術もそうですが、精神力が試合を決めると言われています。今さっき打ち終わったショットに気をとられていては次のショットにも影響してきます。人生でも、最後に自分の思うような成果を得られるかどうかを決める要素の中で「それまでに何をしたか」は1割にすぎない。残りの9割は「これから何をするか」で決まる、というメッセージがこめられています。

そして、昨日、待っていたことのひとつが現実になりました。著書「国際結婚一年生」について朝日新聞に取材された時の記事が掲載されたのです。例によって 「もう載らないのかも・・」と思ったこともありましたから、嬉しいという気持ちと同時に「ほっとした」という気持ちが強かったです。取材し、掲載していた だいた朝日新聞の杉原記者、ありがとうございました。

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こうして思い込みは作られる

02/07/11

先日、旧正月のお祝いで家族と一緒に食事に出かけました。実は、私は子どもたちと一緒にきちんとしたレストランで食事をするのがあまり好きではありません。子どもたちが騒ぐことが心配でゆっくりと食事を味わう・・という感じにならないからです。先日もレストランを出る頃には何だか気疲れして、あ~あ、せっかくの外食だったのに、でも予想した通りだった・・・という気分でいました。

家に帰るまでの車の中でふと思い当たったのは、これも「再生のメカニズム」(Cycle of Recreation)なのかな・・ということでした。この概念は、たびたび書いているRemembrance Courseというコースで出てくるものですが、ある出来事の経験をきっかけに、自分の思い込みが作られるという仕組みのことを意味します。似たような体験を何回か重ねていく中で、その思い込みを裏付けるような証拠に目が行ってしまうため、さらにその思い込みが強くなっていく、というものです。例えばこの「子どもとの外食は楽しめない」という例をとってみても、子どもが生まれて以降の4年間、いろいろなところで外食する機会がありました。それらの何回かの経験から、今ではもうレストランに入る前から、あるいは極端な場合には「レストランに行く」と考えただけで、「またバトルが始まる・・」という気持ちになっています。そうすると、その期待感(この場合は不安感ですね)をもったまま着席し、手早くメニューを見て注文し、食事が来たらものすごい勢いでとにかく口も聞かずに食べて・・・というプロセスを経るため、じっくり食事を味わったり会話を楽んだり余裕もなく、怒涛のような時間が過ぎる・・・という経験を何度もしてきています。

でも、きのう車の中でよく考えているうちに「そういえば昨日は子どもたちは比較的お行儀よくしていたな」「頼んだ料理も悪くない味だった」など、よかったこともあったということに気がつきました。再生のメカニズムで興味深い点は、ある期待感をもったまま出来事を体験すると、その期待感を裏付けるような現象のみに無意識に集中してしまうため、良くも悪くも「期待はずれ」の部分があっても気がつかないでいる(あるいは、重要ではない情報として処理をしている)ことなのです。そもそも、多くの場合は人々は自分がそのサイクルにいることさえ気がつかないわけですから。でも、ひとたび「これは自分が作った思い込みだ」ということに気がつくと、そこから脱却して、別の選択をする可能性がでてきます。人にこのことを説明するとき、私は「創造性のブロックが外れる」と表現していますが、問題にのみフォーカスするのではなく解決方法を見つけることに注力することで、自分自身に違った種類の質問をすることができます。同じ外食をするにしても、子どもが多少子どもらしく振舞っても大丈夫なレストランや、注文するとすぐに食事が出てくるようなところを選ぶことも一つの案だし、あらかじめ一緒に行く人に協力を仰いでおくとか、行く時間帯を考えることもできるでしょう。友人の家族は電子ゲームやDVDプレーヤーを持参することもあると言っていました。「XXなために~ができない」という思考をしていると、解決するためにいくつもある方法を考えることすら面倒くさかったり気が向かなかったりしますが、それは好ましくない思い込みが強化されていくことにエネルギーを奪われてしまっているからなのかなと感じました。実際、この状況への対応策として、今までの私だったら「基本的には子ども連れでは外食に行かない」ということしか頭にありませんでした。何かの機会でそれが避けられない場合にも、最初から「楽しくないだろう」と思って出かけているのですから、その通りの感想を持って出てくるのもある意味当たり前なのかな・・と悟った次第です。

この「再生のメカニズム」の大切な点は、自分の思い込みに気がついたからといって、それを変える必要はない、ということです。別の選択肢もあるが、敢えて自分は今までの路線を行くということも十分に起こりえます。ただ、その場合には今までよりも主体的な選択ができるようになります。そうすると、例えばこの場合で言えば「子どもたち」を理由に食事に行かないというよりは、いろいろ対応は取れるけれども自分としては行かないのが一番気が楽だから・・ということで、今度は完全に「自分の選択」になります。そのため、「子どもたちのせいで犠牲を強いられている」といったような被害者意識からも自由になることができます。そのことだけをとっても、思い込みのメカニズムに気がつくことにはとても意味があるのではないか・・・と思いました。皆さんも日常生活の中で、自分のコントロール外のことが自分の行動を決めてしまっているような気分でいるとき、「思い込み」がないかどうかに目を向けてみては如何でしょうか。もしかすると、創造性のブロックが外れてよい考えが生まれてくるかもしれません。