03/29/13
第6回のポッドキャスト番組では、前回に引き続き、田中恭子さん にお話を伺いました。オーラソーマとは?というところから始まって、この世界に引き込まれたきっかけや、実際に現在はどのような形でセッションを行っているか、今後はどのようなアイディアをお持ちであるか・・・というところまで、じっくりと語っていただきました。
オーラソーマをきっかけに何が変わったか?というご質問には、「自分をより受け入れられるようになった」とおっしゃっていた恭子さん。自分についてよりよく知ることそれ自体は、すぐさま自分を受け入れることにつながるわけではないかもしれませんが、初めの一歩であることは確かなのだな・・・と感じました。
恭子さんはアメリカに来て30年ほどというタイミングで、さらに新しい分野に挑戦されています。これからアメリカでキャリアを築こうという人だけでなく、「今さら・・・」という周囲や自分自身の言葉によって、やりたいことに一歩踏み切れない人にとっても、とても勇気づけられるお話だと思います。それではお楽しみ下さい!
02/18/13
先日、一家でロサンゼルスに行く機会があり、帰り際に長年の友人夫妻が新しくハンティントン・ビーチにオープンしたレストランに行ってきました。その名もベジリシャス 。VegiLiciousはVegetable(野菜)と Delicious(美味しい)を組み合わせた名前で、看板にはAll Natural Vegan Cafeとも書かれています。
このレストランがオープンするまで、お二人の日本での経験からは想定できなかったような様々なチャレンジがあったと聞いていますが、そのひとつひとつを、二人で力を合わせて乗り越えてこられた友人夫妻。お店のグランドオープンから2週間というタイミングでやっとお店を訪れ、ドアから店内に入ったときは「おめでとうございます!」という言葉とともに、まるで生まれたての赤ちゃんを抱っこした友人を訪ねているときのような気持ちになりました。
お店に入ってテーブルにつくと「そういえば(オーナーシェフの)昭さん が家具やさんに行って悩みながら椅子を選んだっけ」とか、レストランの照明を見て「ランプのシェード は(オーナーシェフの奥さんの)あっちゃん が手作りしたんだった」とか、この1年ちょっとの間に、たまに会う機会にお二人から聞いた り、Facebook上でシェアされていたりした ひとつひとつのエピソードが思い出されてきて、食事前から本当に感慨深くなってしまいました。とはいっても3人の子連れということで、道中にネットでチェックしてあらかじめ決めてきたメニューを注文し、ひとつひとつ運ばれてきたお皿を三男の手の届かないところに置きながら食べ始めました。ご飯の写真を撮る余裕もない中、コーン・クリーム・チャウダーを11ヶ月の三男にあげたら「もっともっと!」。手を伸ばしたところをパチリ。快心の一枚の撮影に成功しました。
昭さんはこのレストランをオープンするずっと前から、AkiraTV というUstreamの番組をアメリカ西海岸の毎週土曜日夜10時からやっています。先日の番組では、改めて「VegiLicousのこだわり」について語っていました。お店で出される食事は、一切の合成添加物や化学調味料は使用しておらず 、また調達が非常に難しいもの以外は全てオーガニックの食材 が使われています。また、低脂肪・低塩分・低砂糖・低オイル のレシピで作っているメニューばかりなので、毎日食べても「体にいい」ご飯なのです。看板メニューはカレー。何種類もの中からこの日は豆腐カレーを頂きましたが、こちらのブログ にも書かれているように、このお店のカレーは大量の野菜を長時間煮込んだもので、カレーの中身はほとんど野菜とのこと。そうか野菜を食べていたんだ・・・と後になって納得がいきました。こちらのカレーは次男に大ヒットで、何回もお代わりをしていました。
このレストランのあるハンティントン・ビーチはサンディエゴから車で1時間半ほどかかるので、ちょっとランチに・・・というには若干遠いところですが、オレンジ・カウンティやロサンゼルス方面に行く際には(あるいは口実を作って!)また食べに行きたいと思います。お店のウェブサイトはこちら 、Facebookページはこちら です。お近くに行かれましたら、是非お立ち寄り下さい!
02/11/13
以前からこのブログで何度か書いてきたリメンバランス・コース 。今年はまず3月1日から3日の週末 にかけて、サンディエゴで行われます。
リメンバランス・コースとは、「私たちの世界観は幼少期の体験をもとに作られる」というコンセプトをもとに、その世界観が今現在の生活でチャレンジとなっていることにどのように関係しているか、ということを探っていく体験をするものです。私も2008年6月に参加者として出席して以来、このコースにたびたびアシスタントとして参加して来ました。
参加者の年齢層は10代後半から70代にいたるまで、実に様々です。実は私の夫の母も2年ほど前、70歳のときに参加しました。このコースにご夫婦で出席された友人夫妻のインタビュービデオを作ったことがありますが、この機会にここに再掲載いたします。
ここ2年ほどは、妊娠・出産などでこのコースのアシスタントをする機会がなかったのですが、今回久しぶりに私もアシスタントとして参加しようかな・・・と考えています。オフィシャルサイトはこちら になりますが、コースの日時、場所、そしてコース自体の内容など、詳細に関してご質問がある方は、ぜひ私までご連絡下さい。
11/14/12
私は10年前の今日、11月14日にアメリカに移住しました。2002年の5月に婚姻届を出し渡米の手続きを開始し、夏ごろに移民ビザを取得。当時勤務していた国連機関に退職の申し出をし、後任の選出に関わり、引継ぎをし・・・としている間に季節も変わり、いつのまにか11月になっていました。ロサンゼルス空港に到着後、予定通りイミグレーションのところで別室に案内され、手続きをすませてパスポートに暫定グリーンカードのスタンプを押してもらったときはほっとしたものです。それからシャトルバスでサンディエゴに向かい、オールドタウンのトロリーの駅で夫がバラの花束を持って待っていました。その足で向かった近所のメキシコ料理のレストランから日本の家族に「着いた」と公衆電話から(!)電話をしながら、ああ、本当にアメリカに来たんだ・・・という実感が湧いてきました。
そのときの私に、10年後には国際結婚や子育てのサポートをする仕事をしている、とか、3人の男の子の母親になっていると聞かされても、そんなことあり得ないと思っていたことでしょう。実際、その当時は子どもが欲しいかどうかさえ定かではなかったのです。特に子ども好きというわけでもなかったし、夫の「ぜひ子育てを体験したい」という強い希望がなければ、別に二人で楽しく暮らせばいいじゃない・・・と思っていた可能性も大いにありました。また仕事にしても、国連は(傍から見れば)あっさり辞めたものの、国際協力の仕事には未練がありました。そのため、サンディエゴに引っ越したあとも、国連時代の友人のつてでJICAのコンサルタントとして雇われ、8ヶ月ほどの間にベトナムに5往復して現地でしばらく暮らしたり、サンディエゴの非営利団体の中でも国際協力を行っている団体を中心に職探しをしたりしました。実際には国際協力の仕事は見つからず、家庭内暴力を防止する活動をする団体で勤務を開始しました。
その仕事のあと、進路に迷ってコーチングを受けた結果 、サンディエゴの日本語補習学校での事務局長の職に就き、翌年には長男が生まれました。長男が生まれてからの6年間は、それまでの4年間と比べても時間の流れが加速したような印象があります。フルタイムの仕事、次男の誕生、その合間に模索し始めた新たな働き方、生き方・・・ソーシャル・メディアがそれまでよりもさらに一般的になり、私がこのブログを始めたのは2009年のことです。2010年には本を出版し、それまでに行っていた親子コミュニケーションコースの講師に加え、国際結婚成功コンサルタントとしての仕事も始めました。そして2012年。三男が無事誕生したのは2月のことでした。夏にはハワイに一家で引越し。贈り物のような数ヶ月のハワイ生活を経てサンディエゴに帰ってきたあと、これまで10年近く住んだところから引越しをすることにしました。
“Change is constant”. ありとあらゆる物事は常に変化し続けます。10年後にはどこで暮らしているのか。子どもたちは、夫は、私は何をしているのか。区切りの年に振り返ることを楽しみに、また頑張ろう・・・と思う渡米記念日なのでした。
09/14/12
最近歩く時間が増えたので、また図書館のデジタル・ライブラリーで借りたオーディオ・ブックをiPodで聴き始めました(ハワイの公立図書館でもセレクションはなかなか充実しています)。最初に借りたのはPema Chodron の“Awakening Compassion: Meditation Practices for Difficult Times” という本です。Pema Chodron(ペマ・チョドロン)はチベット仏教僧で、執筆や講演活動を精力的にしている女性です。2009年9月にシャスタ山での修行 に参加したとき、彼女の“When Things Fall Apart” という本を読んで来るようにという指示があり、それ以来ファンになりました。実はこの写真の本 は彼女のメッセージがそれぞれ見開き2ページで書かれたポケット版で、旅行先で買い求め、いつも鞄の中に持ち歩いています。例えばレジの長い列に並んでいるときにぱっとページを開けて見たりすると、少し気分を変えることができるのでとても役立っています。この本は講演の録音という形式をとっており、チャレンジに直面したときの呼吸法や瞑想の仕方について説明しています。鍵となる言葉は“Openness” つまり心を開き続けること。導入の部分でエゴについて語っている話をご紹介します。
人は誰でも「自分の好きな部屋」にいるのが好きです。ちょうどよい温度で、自分の好きな色や調度でしつらえており、好きな音楽がかかっているような部屋で過ごす時間は、当然ながらとても居心地がよいので、外に出たくなくなります。あるいは外の世界が脅威に感じられてくるかもしれません。たまに外に出ると自分の気に入らないものが目に入ったり、嫌な音楽が聞こえてきます。今までにないほど匂いなどにも敏感になり、あわてて部屋に逃げ帰ります。そのうち、外の世界の脅威が自分の部屋に入ってくることを恐れるあまり、空気が入ってこないように窓やドアを閉め切ったりしまいには隙間にも目張りをしたり、何重にも鍵をかけたりているうち、自分の好きなはずの部屋にいることが監獄のように感じられてくるかもしれない。エゴとは「自分の好きなものしか入れない」ようにすることで、それは自分を守るために始める行為なのですが、結局は自分を監獄に閉じ込めてしまい、その結果苦しみは大きくなってしまうということを彼女は言っています。エゴの大きさと苦しみの大きさは呼応していると。彼女によると、もしエゴがもう少し柔軟で、自分を鉄壁の防御で取り囲むのではなく、気に入らない状況に対しても少しでも好奇心をもつことができならば、かえって苦しみは軽減するのです。英語では“if ego is more ventilated” と言う言い方をしています。新鮮な空気をとりいれることができれば、というニュアンスです。
世の中の色々な宗教は、この「自分の居心地がよい場所にばかりいることはいずれ偏見や憎しみを生み出してしまう」と言う考え方では一致している・・・と彼女は言っています。エゴで凝り固まってしまうと自分以外の人はすべて敵になってしまうのです。ではどうしたら、もっと窓やドアを開けて、恐れることなく外界の空気や未知のものを取り入れていけるのか?そして、やってくるなにものにも心を開き続けていけるのか?ということがこの講演のテーマになっています。そして、このopenness の練習とは、自分の苦しい状況から自らを救うため、そしてもうひとつ大事な点としては、世界のどこかで同じ苦しみを経験している人のために行うのだと説いています。またその「苦しい状況」のなかに、自分の中の好ましくない感情についてどう対応するか、ということも含まれています。
例えば、先日「他人の成功を喜ぶこと」 という記事で書いたように、誰でもときには人の成功を素直に喜べない気持ちになることもあるでしょうが、自分のそういった部分が嫌で仕方がないという人もいます。それは「他人の成功を素直に喜べる人でありたい」という思いがあるから、とも言えるでしょう。そうでなければ、嫉妬していてもそんな自分が嫌だとは感じないでしょうから。ペマ・チョドロンの教えは、自分が望まない状況への対応策としてだけでなく、「自分の綺麗でない部分」「立派な人でない自分」についても心を閉ざさずにいるためのものと言えます。「そのままの自分を受け入れるため」という言い方もできるでしょう。人間の器の段階として今はここにいるんだ、と言うことに対して抵抗することがより苦しみを増すことになるからです。言い換えれば一足飛びに「嫉妬しない人になる」ことを目指すのではなく、まずは「嫉妬する自分」に対しても親切な目を向け、その気持ちとより親密な関係になるということになるでしょうか。以前ある人がこう言っていました。“Perfection is never a goal. Practice is” 目指しているのは完璧になることではなく、努力し続けること。どこまで行っても終わりのない旅ではありますが、いつでも「練習」しているのだと思えば、自分に対しても少し優しくなれるのでは・・という気がします。
09/04/12
この夏、ポートランドとシアトルに家族旅行をしました。シアトル郊外には、私がカリフォルニア州モントレーで通った大学院 時代の友達が住んでいます。彼女がカリフォルニア州からワシントン州に引っ越したあと、2001年の冬に初めて彼女を訪ね、そのあとも機会があるごとに会ったり、連絡を絶やさず取りつづけている友人のひとりです。
今年の夏に会ったときは、二人だけでじっくりと話す時間がありました。長い間交際しているパートナーとのことになったとき、彼女は「今までで一番ベストなパートナーシップを築いている相手。結婚して何かが変わってしまってだめになるカップルもたくさんいるから、そうなるくらいなら今のままでいい」と言っていました。パートナーはアメリカの軍勤務で、あと1年半ほどで20年を勤め上げ軍人としてのキャリアは終了するというところ。ちょうど私たちが訪ねていったときは航海の途中で、数週間後に帰るというときでした。数年前に2人でサンディエゴに遊びに来たときに会ったこともある人で、今年の6月ごろ「初めて日本に行くけど、どこかお薦めの場所はあるか」と聞かれ、メッセージを交わしたりしたのです。
その彼が、8月中旬に大好きなバイクのツーリングをしている最中、事故にあって帰らぬ人となったことをFacebookで知りました。あまり突然のことで、少し時間がたった今でも信じられない思いです。Facebookの本人のページには多くの人からメッセージが寄せられ、彼との思い出を語るストーリーや写真が投稿されています。前妻との間に10歳くらいになる男の子がいた彼。友人に子どもが欲しいのかどうか聞いてみたとき、タイムリミットが近いのでもし本気で子どもを持ちたいかもと思ったとき、彼は一緒に考えようと言ってくれていると話していました。
彼女からのFacebookの投稿は、家族や友人に、お葬式の日時や軍隊が彼の写真を集めたいと言っていることなどを淡々と知らせる内容のものが多く、彼女が経験しているであろう悲しみやつらさは測り知れないものがあります。彼の死を知らせる彼女のメッセージには”He died when he was doing what he loved” と書かれていました。2ヶ月ほど離れ離れになっていて、やっと彼女と住む家に帰ってきたその翌日のことだったそうです。本当にいつ、この人生という「旅」が終わりになるのかは誰にもわからないこと。「毎日を悔いのないように生きよう」と言うのは簡単でも、実際にはそれほどたやすいことではありません。それでも、知らせを受けてから日に一度は彼女と、そして彼のFacebookを訪れて、ふたりのストーリーが語られるのをそっと読ませてもらっているのでした。最愛の人に先立たれてしまった友人のこれからに幸あれと強く祈りながら。
04/20/12
チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世が、サンディエゴ州立大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校、サンディエゴ大学の3大学で講演を行うためサンディエゴを訪れました。三男が生まれた日に発売になったチケットを友人の協力で入手し、心待ちにしていた日がついにやってきました。ひょんな縁から親子コミュニケーションコースの大先輩であり、私のメンター、そして大切な友人でもあるSusie Waltonと一緒に行くことになったのも必然だったのでしょう。今朝、サンディエゴ州立大学の会場で会った彼女は「きのうは楽しみで眠れなかったわよ!」と興奮気味。以前にも2度、講演に行ったことがあるということでしたが、ダライ・ラマが会場に姿を現したときには涙を流していました。
バスケットボールなどに使われるアリーナでは、中心に設置されたステージを観客席がぐるっと取り囲むような形で、私たちの席はステージの後ろからみるような形でした。講演中は主に天井に設置されたスクリーンに映る姿を見ていましたが、話の内容もさることながら、本人の持つオーラのような、力強い、それでいて攻撃的ではない空気が感じられました。話題は宗教のこと、許しのこと、親として子どもにするべきこと、最大限の幸せを感じる人生を送るには・・・・など多岐にわたり、講演時間の45分ほどはあっという間に過ぎました。
その後30分ほど質疑応答の時間となり、あらかじめ寄せられた質問を担当者が読みそれに答える形ですすめられました。ダライ・ラマの講演を聴くというのは初めての体験でしたが、77歳とは思えないパワー。そして意外にもとてもユーモアに溢れ冗談を交えながらの講演で、会場からはしばしば笑い声が聞こえました。アジア人らしいアクセントのある英語で、ときどき通訳者に「英語でなんと言うのか」と尋ねながらの話だったのですが、私が理解した限りでいくつか印象に残ったことをあげておきます。
・「自分」と「他人」の境目は(本来は)ない。すべては”Oneness”つまりつながっている。
・物理的な快適さと精神的な安らぎという二つの価値観がある。物理的な快適さはお金で買えるものだが、それでは精神的な安らぎは得られない。また、例えば病気などで身体的にはつらくても、精神面での安らぎや強さがあれば乗り越えられる。
・親(特に父親)は子どもともっと時間を過ごすべきだ。そして子どもに対して”Maximum Affection”(最大限の愛情)を注いでやることが、Compassionをもつ世代を育てることになる。また子どもには出来るだけホリスティック な体験をさせてやることが望ましい。
・たとえ「敵」と思う人がいたとしても、その相手自身が、自らのネガティブな行いの結果起こることを体験することになる。許しとはその相手への気遣いから起こる感情である。
・仏教の教えは「信仰心から教えを受け入れなさい」というものではなく「自ら体験し実験することで教えを受け入れなさい」というもの。その意味では、ブッダは科学者でもあると言えると思う。
・最大限、幸福な人生を送るためには「心の平安」が欠かせない。一人ひとりが幸福な人生、幸福な家族を築き、そして社会に貢献することで、よりよい未来が築かれる。そして正直に生きること。
・私の二つの目の片方は世界をみている。そして片方の目は来世を見ている。
質問のひとつに「あなたは世界中の人をインスパイアしていますが、あなた自身がもっとも影響を受けた人は誰ですか」というものがありました。これには「私は仏教徒なので、偏見があると思いますが・・・」と前置きし、「ブッダです」。これには会場も大爆笑。その後、ガンジー、マザー・テレサなどの名前を挙げていました。また、最後のほうで、日本の地震と津波のことにも触れ、実際に被災地を訪れたことを話していました。そして「日本は第二次大戦で何もなくなったところから立ち上がった。だから、また再建できると信じている」とも。講演を終えたあと会場を埋め尽くした観客から拍手喝采を受けながらアリーナをあとにしました。講演はウェブカメラで放映され、編集版がローカルテレビでも放映されるとのことです(スケジュールはこちら をご覧ください)。帰りの車のなかで、子どもたちに最大限の愛情を注いでいるかな・・・と自問自答。それを可能にするためにはやはり自分自身のケアをすること。時間に追われる毎日なので難しく感じられることは確かですが、家族みんなで仲良くハッピーな生活を送るためにもそれはとても大切なことなのだと改めて感じました。質問の中にも「自分はちっぽけな存在。こんな私に何ができますか?」というものがありましたが、すべては自分から始まるのです。自分自身を幸福にし、家族の幸せに貢献し、それがコミュニティや国、世代・・・につながっていく。そんな思いにさせられたダライ・ラマの講演でした。
01/09/12
早いもので新年最初の一週間が過ぎました。今年は数週間後に出産を控えているため、「今年の目標」と言われればまず「無事出産すること」が思い浮かびますが、同時に「毎日を意識的に過ごす」 ことを心がけたいと思っています。「多くのことを成し遂げる」というよりは、いかに毎日、毎時間、毎分、あるいは毎秒を「今これをやっている」あるいは「こういう気分である」ということに注意を払って過ごせるか。つまり、”Be Present”ということですね。頭では理解していても、実践するのは難しいコンセプトですが、妊娠、出産、新生児のお世話という、ある意味自分ではコントロールできない要素が多い出来事を体験するチャンスを与えられているので、”Doing”が制限されることやその不自由さにイライラするよりも、”Being”により重きを置いた時間にしてきたいと思っています。
そんなことを考えていたら、ちょうど一年前に実際に初めてお会いする機会のあった堀正岳さんのブログ記事「人生3万日だと思ってはいけない」 に遭遇しました。義理のお姉さまを亡くされるという突然の不幸に、改めて“There is only today” ということを思い知らされた・・・という内容でした。こうした突然の出来事を前にして、私たちにできることは、やはり今を大切に生きることです。言葉にすると本当に陳腐でありきたりですが、今の状況は永遠に持続しないということを忘れずにいること、あるいは毎日自らにリマインドし続けて意識的な生活をすること。たとえその時選ぶ行為が「横になって休む」だったり、「テレビドラマを見てリラックスする」ことだとしても、そういう目的をもっていると自覚しながら行うこと。長期的な計画や目標を立てるなということではなく、それを念頭におきつつ「その実現のために今何ができるか?」と、常に「今」に置き換えてみること。その上で「今」を心地よく過ごせているかどうか、過ごせていないとしたらどうすれば変えられるのか。状況をその時点では容易に変えられないのだったら「心地よくない」と感じる気持ちを変えられないか。そんなことを心がける年になりそうです。
10/11/11
世界を変えたスティーブ・ジョブズが癌のため亡くなってからもうすぐ一週間になります。発明王エジソンなどと同じように「歴史上の人物」として名を残すことになった人ですが、その日以来多くの人が、彼が2005年に行ったスタンフォード大学でのスピーチを改めてシェアしていました。このブログでも「目標を持たない生き方」 という記事でこのスピーチに言及し動画を載せたところでした。
彼の人生哲学を形作った数々の要素のひとつとして、禅の考え方が深い影響を与えていることは良く知られていますが、この「死に直面した」という経験もそのひとつでしょう。かなりの確率で助からないから死を覚悟しなさいと言われ、人生の棚卸しをして「本当に大切なことは何か」ということがいやでも明らかになった・・・という経験。先日、夫と観にいった映画「50/50」もこのテーマを扱っていました。タイトルの”50/50”は、フィフティ・フィフティ、つまり「五分五分」という意味で、主人公が宣告された癌の助かる見込みを意味しています。
映画はシリアスなドラマとコメディの要素が絡み合い、深刻なテーマながら悲壮になりすぎず、ストーリーが淡々と展開されていきました。実はこの映画は主人公の親友役をした俳優(Seth Rogen)の実際の友人が25歳で癌になったという経験をもとに作られたのです。
感想を書くとネタばれになってしまうかもしれないので、映画についてこれ以上は書きませんが、多くの人は、病気になったり、身近な人の死を体験することで初めて(あるいは改めて)日常のありがたさを実感します。そして「この生は限られた時間である」ということも。実際に自分でこの死に直面する体験をしない(できない)としても、こういった映画を見たり、体験者の本を読んだり、現実世界のニュースによって、その人の生き様や人生哲学に触れることはできます。時には、今の時間がいつまでも続くかのような錯覚を「そうではない」と気づかせてくれる疑似体験をすることも、スティーブ・ジョブズの言った「自分はいつか死ぬことを忘れずにいる」 ために誰もが出来ることではないでしょうか。
03/12/11
地震の発生から2日ほど経とうとしている時にこのブログを書いています。日本に住む両親と兄の無事は確認され、安心したものの、今後のことがとても気になっています。
心配になるニュースが次々と報じられる一方で、復旧した電車に乗るために整然と並ぶ人々の列や、黙々と歩いて帰ったりコンビニで散乱したものを拾い上げて普通にお金を払って買っていく話など、「やっぱり日本人だ」と感じる話を目にします。これらの行動を驚きをもって受けとめる外国人の反応を見て、私たち日本人にとっては「普通」と思っていることが世界的にみればそうではないのだということに改めて気づかされました。アメリカでハリケーン・カタリナがあったとき、1ドルの水を10ドルで売ろうとしていた人がいたこととは対照的に、サントリーが自動販売機を無料にしたことを語る人もいました。もちろん、義援金詐欺やスリなど細かいところをみれば日本人にだって悪いことをする人はいるでしょう。でもこの状況に乗じてお店を襲ったり、暴動になったりする可能性はほぼないという事実は誇るべきことだと思います。
私はアメリカに住んでいるため、ここ2日間、ソーシャル・メディアを中心に情報収集をし、必要と思われることはシェアをし、友人を励ましたり応援したりするメッセージを書き込みました。この週末は夫と二人で税金の確定申告の作業をすることになっていましたが、やはり日本のことが気になってまったく身が入らない私を夫はそっとしておいてくれ、黙々と一人で作業を進めていました。後になって二人で近所のスーパーに食料を買いに行った時、あまりにも普通の光景、つまり電気がついていて新鮮な食料が豊富にあって、お金さえ出せば何でも買える状況を目の前にして、思わず被災した方々の状況に思いを馳せ立ち尽くしてしまいました。アメリカ生活も9年目になり、いつしか広い駐車場では買い物のカートを適当な場所にほっておくようになっていた私ですが、日本人がこんな状況でも普通に取っている「ルールを守る」行動を思い出して、所定の位置まで返しにいきながら、自分が日本人でよかったと感じていました。
今、地震の被害に直接あっていない場所にいる方たちにでも出来ることはあります。日本在住であれば、次の地震や二次災害に備えたり、節電や献血、寄付などができるでしょう。海外在住であれば、寄付をしたり、応援や励ましのメッセージを送り続けることができます。また、日本でも海外でも直接の被害が少ない場所にいて「普通の生活」をすることが出来る人は、「当たり前だと思っていることは実は当たり前ではない」ということを思い出し、少しでも愛する人にその気持ちを伝えたり、周りの人に親切にしたりするきっかけにしてもらえたらと思いました。「いつでもまた会える」なんていうのは幻想に過ぎません。 そ れぞれの機会で、目の前にいる人と交わした言葉が最後のものになったとしても後悔しないような言動ができれば、それがベスト なのではないかと思います。
私の子供たちはまだ就学前ですし、家にはテレビもないので、今回の地震についてはほとんど伝えていませんが、やはり何かを感じたのでしょうか、きのう寝かしつけるときに二人して「心臓の音を聞かせて」と言って来ました。赤ちゃんのようにかわりばんこにだっこして心臓の音をきかせてあげると、次には「自分の心臓の音を聞いて」。言われた通りに小さい胸に耳をあてて、どくん、どくんと打っている命の音を確かめながら、この時間に感謝する気持ちでいっぱいになりました。今回の地震で亡くなられた方や負傷された方、そのご家族の方々に、心からのお悔やみを申し上げます。また、まだ消息のつかないご家族や友人がいらっしゃる方々に、心からのお見舞いを申し上げます。「誰かが生きたかった一日」を無為に過ごすことのないよう、また愛情の出し惜しみをすることのないよう、精一杯生きます。