Archive for February, 2011

相手を知ると自分も変わる

02/25/11

よくビジネスなどの交渉ごとの場面で「”Win-Win”を目指しなさい」と言われます。Win-Winとは、文字通り「私も勝ち、あなたも勝つ」という意味です。アメリカではSteven Coveyという人の書いた”Seven Habits of Highly Effective People”という有名な本(日本語では「7つの習慣」)で広く知られるようになった概念です。この「どちらかが勝ち、どちらかが負ける」のではなく両方にとってよい解決方法を考えよう、というのは、RCB親子コミュニケーションコースでも兄弟げんかや夫婦喧嘩などの際の解決方法として提唱しているツールです。実際、うちでも子供たちが喧嘩を始めると「どうしたら二人ともハッピーになれるか」という問いかけをしています。

最近、このWin-Winについてもう少し考える機会がありました。ある人と自分との間にどうやら意見の食い違いがあるようなのです。相手と話し合う前に、自分が現時点で考えられる妥協のポイントをあれこれ考え、検討している私を見て、夫から「”Win-Win”の最初のステップは相手を理解すること。それから自分を理解してもらうことだよ」という助言がありました。彼は今まさにこのSteven Coveyの本をオーディオブックで聴いている最中なので記憶も新しく、次のエピソードについても話してくれました。

Stevenは本の中で「子供たちが騒いでいるのをとめもせずにボーっとしている父親」について説明していました。最初は「なぜ注意しないのだ」と苦々しく思っていたが、ついに耐えかねて「子供たちを注意したほうがいいのでは」とその父親に話しかけたところ、その父親は「実は彼らの母親(自分の妻)が亡くなったばかりで・・どうやって子供たちに話せばいいのか検討もつかないのだ」ということを打ち明けてきたというのです。その話を聞くまではStevenにとって彼は「子供を注意しないダメな父親」でしたが、話を聞いた今となっては「ぼーっとしているのは無理もない、何かしてやれないだろうか」と、状況を理解し、その不運を思いやる対象となったのです。当然、その時点では「では自分は相手に何を望むか」も以前とはまったく違ってきます。

夫は続けて「相手の状況をまず理解したら、その時点で自分は変わっているかもしれない。だから相手の状況を先に聞いて理解した上で、それから考えればいいんじゃない」と言いました。私たちは得てして「XXは~と思っているのに違いない」という推測をもとにあれこれと考えをめぐらせますが、実際のところは聞いて見なければわかりません。相手の話を聞いて自分の理解が深まり、その結果相手に対する気持ちが少しでも変わってくれば、その時点で自分が相手に対して望むことが変わる可能性もあるでしょう。最初のステップはこれからですが、とりあえず思い悩む前にまずコミュニケーションをとり相手を理解すること。そこから考えても遅くないと思った出来事でした。

声でわかる心の中

02/23/11

先日放映したインターネットテレビ番組”Wealthy Life TV”は私が「声でわかる!あなたの心の中」というテーマで話をしました。自分が心の平穏さを失ったことは、声にすぐに出ます。発している言葉そのものではなく、声のトーンや言い方に現れるのです。これは自分の周囲の人のことを考えてみれば容易に想像がつくでしょう。例えば「ありがとう」という、言葉そのものはポジティブな言葉でも、その言い方がつっけんどんだったり、皮肉っぽかったりすることで、その人の本心が見え隠れするような気分になる体験は誰にでもあると思います。

自分の声が平穏さを失ったとき、「カスタマーサービスの対応が悪いからだ」「XXが~だからだ」という風に自分以外の誰か(何か)のせいにするのはよくある反応です。でも、本当にそうでしょうか?「機嫌の悪さ」というのは実は自分で選択しているのです。あらゆる状況に対してどういう感情を持つかということは自分で選ぶことができます。「感情に押し流される」「感情はどうしようもない」という表現がありますが、より正確には「湧き上がる感情のまま行動することを選んでいる」ということになります。

一瞬、一瞬ごとに、自分がどう感じるか選択することができ、自分の声はその格好のバロメーターです。ひとつの注意点としては、カップルの方は、この知識を「相手の声が平穏でないことを指摘するツール」として使うのではなく、あくまで自分の心をモニターする手法として使うことをお薦めします。一番身近な相手に常に心の状態を指摘されるのはかえって喧嘩のタネになりかねませんから・・・

先日の番組はこちらからご覧いただけます(冒頭にコマーシャルが入りますがその後始まります)。

待つこと

02/18/11

去年の1月に「本を出版したい」と思い立った時から、実際に本が出るまで、約1年ほどでした。実際には、「本を出そう」と思ってから、出版してくださった主婦の友社の方と出会うまで、企画書をお渡ししてからそれが通るまで、そして原稿を書き上げてメールで送り、フィードバックを経て追加原稿を再び送ってから本が実際に出来るまで・・・様々な段階で「待つ」という時間がありました。また、今も今年出したい(書きたい)と思っている本のことで返事を待っている状態です。

昨今、出版されている方は世の中にたくさんいらっしゃいますし、中には次から次へと本を出している方もいらっしゃいます。そんな中で、私はまだ「著者」と言っても本当に「序の口」程度の位置にしかおりませんが、そんな私が1年足らずの経験から学んだことは「待っているときに何をするか」ということです。

待っている時、ときに人は弱気になります。そういえば、中学で私立を受験したとき、高校時代にAFSという留学試験を受けたとき、大学受験をしたとき、大学院を受験したとき(アメリカの大学院に進学するためGREという試験を受けたら先方の手違いでスコアをなくされたことがありました)、国連に入るためのJPO試験を受けたとき、サンディエゴ補習授業校の事務局長の面接を受けたとき・・・人生の岐路ではみんな「結果を待つ」という経験をしてきています。昔も、それぞれの試験を受けたときにはそれなりにドキドキしたり、弱気になったりしながら待っていたのでしょう。なんだか久しぶりにその感じを思い出しました。

待っている時に何を考えるか?によって、その待っている結果が変わるなんてことはあり得ない、と思うかもしれません。でも昔よりも年を取り、少しだけ知恵がついている今はこう思います。待っている時に「もうだめなんだ」と考えても、「いや、絶対大丈夫」と思っても、おそらくその待っている結果自体には変わりはないでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますが、やるだけやって(やれなくても)その結果を待っているなら、それはもう自分の手を離れています。でも、その待っている間にどんな気持ちで何をするのか?によって、その次の展開が違ってくると思います。待っている時に、待つことの緊張感に耐えられず弱気になり、何をする元気もなくなるという状態に甘んじるのか、それとも、たとえ思ったとおりの結果が得られなくても、すぐに次の手を打てるように「プランB」を考え、行動するのか。これを書きながら、昔見たタイガー・ウッズの広告を思い出しました。次のショットを打つという姿とともにこんな文句がついている写真です。”10% is what you just did. 90% is what you do next” ゴルフの試合では技術もそうですが、精神力が試合を決めると言われています。今さっき打ち終わったショットに気をとられていては次のショットにも影響してきます。人生でも、最後に自分の思うような成果を得られるかどうかを決める要素の中で「それまでに何をしたか」は1割にすぎない。残りの9割は「これから何をするか」で決まる、というメッセージがこめられています。

そして、昨日、待っていたことのひとつが現実になりました。著書「国際結婚一年生」について朝日新聞に取材された時の記事が掲載されたのです。例によって 「もう載らないのかも・・」と思ったこともありましたから、嬉しいという気持ちと同時に「ほっとした」という気持ちが強かったです。取材し、掲載していた だいた朝日新聞の杉原記者、ありがとうございました。

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気が散りやすい脳

02/14/11

最新号のTIME誌で、”Wired for Distraction?”と題された記事を見つけました。今やFacebookをはじめとしたソーシャル・メディアを引き合いに出すまでもなく、携帯電話や電子メールの普及で、子どもたちは起きている間、とても多くの時間を「ネット世界とつながって」暮らしています。この記事を書いた記者は「子どもがネット世界でいじめられていないか、不適切なサイトを見ていないかということよりも、これだけ常に『つながっている』ことが脳にどんな影響を及ぼすかについて心配している」と書いています。

記事では、まず”continuous partial attention”ということに対する危険について述べられています。直訳すれば「継続的な散漫な注意力」とでもいうのでしょうか。ある調査によると、8歳から18歳までの子どもは平均で7時間38分もの時間を「エンターテイメント・メディア」に費やしており、例えば「テレビを見ながら携帯メッセージ」などの時間をのべで計算するとその時間は11時間にもなるそうです。

続いて、脳から分泌される物質にまで言及し、普段からそういった邪魔がないような状態で集中して問題に取り組める人と、そうでない人では違う物質が出ていると説明しています。同時に二つ以上のことを行うことを英語で”multi-tasking”と言います。普段からネットや携帯で「つながって」いて、何かをしながらメールやメッセージを見たりしている人のことを”multi-tasker”と言及し、彼らはそうでない人たちと比較すると、情報を吸収する際に脳の違う部分が活発になっているため、結果として「”multi-tasker”は単純作業で働くには問題がないが、今の子どもたちが将来的に高収入の仕事を得たいと思ったら必要不可欠になるハイレベルの思考をすることは難しい」と結論付けています。そういったハイレベルの思考をするには脳の海馬という部分を活発にしなければならないのですが、常にメッセージで邪魔されながら何かを習うことに慣れてしまうとそれがうまく作用しないという趣旨でした。

この記者は11歳のお子さんを持つ父親でもあるため、起きている間中ネットや携帯電話とつながっている状態を好ましくないものと考え、学校にいる間はFacebookは見ない、携帯電話使用も夜9時半まで、などという一定のルールを設けたと書いていました。私もこの記事を読んで、子どもたちの脳は私たちの世代とはきっと違っているのだろうと思わずにいられませんでした。私がメールを日常的に使い始めたのはせいぜい大学院留学時代なのでまだ10年ちょっとくらいのものですが、それでも、コンピュータに向かっている1時間ほどの間、Facebookやメールを開かずに集中して仕事をすることが難しいと感じることもあります(よいアイディアが浮かばないときはなおさらです)。これは、人間は「他人とつながっていたい」と感じる社交的な動物だからで、「メッセージがあります」という知らせを見ると脳にドーパミンという物質が出るからなのだそうです。生まれたときからコンピュータのみならずモバイル端末が周囲にあるような状況では、この記者のように親がこの問題について認識して、対策を講じていかないと、「必要な時には海馬がちゃんと働ける」ように情報を吸収させ物事を習わせていくことは困難でしょう。家で両親が四六時中コンピュータに向かっている姿を見せることにも問題があるに違いないと危機感を感じさせる記事でした。

ミカ

02/10/11

先日こちらの記事に書いたサンノゼに住む親友の話です。彼女はミカという名前の犬を飼っていました。ミカが2歳のときにシェルターからもらってきたそうです。偶然にもミカという名前がついていたのだとか(親友は日系アメリカ人です)。それから10年近くがたち、ミカは病気になってしまいました。癌にかかり、親友とだんなさんは相談して、足を切断するという決断をしました。私たちも去年12月に遊びに行きましたが、3本足になっても普通に歩いたり元気に飛び回ったりしていて、ぱっと見では気づかないような感じでした。もちろん、もう年なので寝ていることが多かったのですが、起きているときは優しい、いたずら好きないつものミカでした。

ミカは大きい犬です。子どもたち(特に下の子)は最初は怖がっていましたが、ミカが気立てのいい優しい犬だとわかったようで、滞在の最後の方ではミカの背中をさすったりできるくらいになっていました。親友の話では、今5歳になる一番上の女の子が生まれたばかりの時、ミカは赤ちゃんが泣いていればすっとんで彼女を呼びにくるし、散歩に行ったときもほかの犬が乳母車に近寄ろうものならすごい勢いで赤ちゃんを守ろうと、乳母車の前に立ちはだかったりしたのだそうです。そのあと双子の女の子が生まれました。だんなさんが出張の多い仕事をしていたときも、ミカがいれば安心でした。親友の家族にとっては、ミカは3人の女の子たちを守ってくれる、大切な家族の一員でした。

そのミカの癌が再発し、具合は急変しました。先週土曜日の夜、親友はFacebookに書き込みをしました。”I am sleeping on the floor next to Mika, because I don’t believe in dying alone” 「一人で死なせることはしたくないから、今日はミカの隣の床で寝る」と。その夜は持ちこたえたそうですが、親友はだんなさんと話し合って、ミカを永眠させる苦渋の決断をしました。もう動くこともできないし、数日待っても苦しむようになるだけだから・・・と。日曜日は一日中、家の前の庭で過ごしたそうです。ハムやピーナッツ・バター、ホイップクリームなどミカの好物を好きなだけ食べさせてあげました。近所の人や、彼女のサクラメントに住む妹がやってきてお別れをしました。月曜日、子どもたちが学校や預け先にいていない時に、親友はだんなさんと一緒に獣医にミカを連れて行きました。

親友は数ヶ月前にお母様を亡くしたばかりです。私は、Facebookに書かれたこのノートを読んで、ミカとお母様がどんなに似ていたかを理解しました。どちらも、癌を一度は克服したこと、その手術が1年近くの時間を与えてくれたこと。どちらも家族を一番大切に思っていたこと。どちらも、とても勇敢でそして美しかったこと。2月18日が” ampuversary” (anniversary と amputationの造語。こんなときでもユーモアを忘れない彼女です)つまり足を切断してから1年後の記念日になるはずでした。偶然にも、生きていたらお母様の68歳の誕生日だったそうです。短い間に大切な家族を亡くすという経験を2回もした一家。今はただ、一日一日を過ごすだけだと語っていました。

また犬を飼うことはあると思う?と聞かれて、もう少し時間がたったらね・・・と言っていた彼女。犬や猫などのペットを飼うということは、かなりの確率でそのペットの死も体験すると言うことです。死を体験することがつらいからもう飼わないという選択肢もあります。最後に死んでしまうなら、何でそんなことしなければならないの?結局何のために生きたの?という思考もできます。人間でも同じことだと思います。人はみないつかは死ぬのですから。でも、私はきっと彼女はまた犬を飼うだろうと思っています。それはミカが生きた12年間、その一日一日の積み重ねや、一緒に過ごした時間の思い出は、最後にまたつらい思いをすることをわかっていたとしても、それでもなにものにも代えがたい、素晴らしいものだったからです。「たかが」ペットという人もいるでしょう。でも人間ではないけれども、生命をもっているものと、そんなに濃い関係を築くことができた彼女と家族の生活はまちがいなくより豊かなものになったし、これからも彼女たちはこの体験を選ぶだろうという気がしています。

こうして思い込みは作られる

02/07/11

先日、旧正月のお祝いで家族と一緒に食事に出かけました。実は、私は子どもたちと一緒にきちんとしたレストランで食事をするのがあまり好きではありません。子どもたちが騒ぐことが心配でゆっくりと食事を味わう・・という感じにならないからです。先日もレストランを出る頃には何だか気疲れして、あ~あ、せっかくの外食だったのに、でも予想した通りだった・・・という気分でいました。

家に帰るまでの車の中でふと思い当たったのは、これも「再生のメカニズム」(Cycle of Recreation)なのかな・・ということでした。この概念は、たびたび書いているRemembrance Courseというコースで出てくるものですが、ある出来事の経験をきっかけに、自分の思い込みが作られるという仕組みのことを意味します。似たような体験を何回か重ねていく中で、その思い込みを裏付けるような証拠に目が行ってしまうため、さらにその思い込みが強くなっていく、というものです。例えばこの「子どもとの外食は楽しめない」という例をとってみても、子どもが生まれて以降の4年間、いろいろなところで外食する機会がありました。それらの何回かの経験から、今ではもうレストランに入る前から、あるいは極端な場合には「レストランに行く」と考えただけで、「またバトルが始まる・・」という気持ちになっています。そうすると、その期待感(この場合は不安感ですね)をもったまま着席し、手早くメニューを見て注文し、食事が来たらものすごい勢いでとにかく口も聞かずに食べて・・・というプロセスを経るため、じっくり食事を味わったり会話を楽んだり余裕もなく、怒涛のような時間が過ぎる・・・という経験を何度もしてきています。

でも、きのう車の中でよく考えているうちに「そういえば昨日は子どもたちは比較的お行儀よくしていたな」「頼んだ料理も悪くない味だった」など、よかったこともあったということに気がつきました。再生のメカニズムで興味深い点は、ある期待感をもったまま出来事を体験すると、その期待感を裏付けるような現象のみに無意識に集中してしまうため、良くも悪くも「期待はずれ」の部分があっても気がつかないでいる(あるいは、重要ではない情報として処理をしている)ことなのです。そもそも、多くの場合は人々は自分がそのサイクルにいることさえ気がつかないわけですから。でも、ひとたび「これは自分が作った思い込みだ」ということに気がつくと、そこから脱却して、別の選択をする可能性がでてきます。人にこのことを説明するとき、私は「創造性のブロックが外れる」と表現していますが、問題にのみフォーカスするのではなく解決方法を見つけることに注力することで、自分自身に違った種類の質問をすることができます。同じ外食をするにしても、子どもが多少子どもらしく振舞っても大丈夫なレストランや、注文するとすぐに食事が出てくるようなところを選ぶことも一つの案だし、あらかじめ一緒に行く人に協力を仰いでおくとか、行く時間帯を考えることもできるでしょう。友人の家族は電子ゲームやDVDプレーヤーを持参することもあると言っていました。「XXなために~ができない」という思考をしていると、解決するためにいくつもある方法を考えることすら面倒くさかったり気が向かなかったりしますが、それは好ましくない思い込みが強化されていくことにエネルギーを奪われてしまっているからなのかなと感じました。実際、この状況への対応策として、今までの私だったら「基本的には子ども連れでは外食に行かない」ということしか頭にありませんでした。何かの機会でそれが避けられない場合にも、最初から「楽しくないだろう」と思って出かけているのですから、その通りの感想を持って出てくるのもある意味当たり前なのかな・・と悟った次第です。

この「再生のメカニズム」の大切な点は、自分の思い込みに気がついたからといって、それを変える必要はない、ということです。別の選択肢もあるが、敢えて自分は今までの路線を行くということも十分に起こりえます。ただ、その場合には今までよりも主体的な選択ができるようになります。そうすると、例えばこの場合で言えば「子どもたち」を理由に食事に行かないというよりは、いろいろ対応は取れるけれども自分としては行かないのが一番気が楽だから・・ということで、今度は完全に「自分の選択」になります。そのため、「子どもたちのせいで犠牲を強いられている」といったような被害者意識からも自由になることができます。そのことだけをとっても、思い込みのメカニズムに気がつくことにはとても意味があるのではないか・・・と思いました。皆さんも日常生活の中で、自分のコントロール外のことが自分の行動を決めてしまっているような気分でいるとき、「思い込み」がないかどうかに目を向けてみては如何でしょうか。もしかすると、創造性のブロックが外れてよい考えが生まれてくるかもしれません。

Happiness = Inside Job

02/02/11

フロリダに往復する飛行機の中で、以前から色々な人が推薦していた“Bird by Bird”という本を読みました。”Some Instructions on Writing and Life”という副題のついているこの本はAnne Lamottという作家の書いた「書くこと、そして人生についての指南書」です。とても面白く、行きと帰りの飛行機で読みきりました。

この本は、目次を見る限りでは”Writing”、つまり書くことのプロセスについて、彼女が教える「小説の書き方クラス」の流れに沿って説明されているかのように見えますが、小説の書き方のテクニックというよりは心構えに重きがおかれています。例えば、「出来の悪い草案」についての章では、自分の頭の中で聞こえてくる「こんなのは読む価値もないものだ」「自分には才能がない」「時間の無駄だ・・・」というような声をどのようにシャットアウトして、毎日のように机に向かってとにかく文章を紙に書いていく(コンピュータに打っていく)ことが大切か・・ということが書かれています。また、彼女のクラスには、当然ながら「いつか出版したい」と思う人たちが集まってくるわけですが、正直なアドバイスをしたときの彼らの反応や、小説化志望の人たちがするべきこと(例えば、作品を批評しあえる友達やグループを作るなど)についても書かれています。

彼女の本の中では”Operating Instructions”だけが日本語に訳されているようです。こちらの本については「これは育児書ではなく、赤ちゃんが生まれて大奮闘しているシングルマザーの日記です。ユーモアあふれ、突っ込みどころも多い楽しい本です。 自分の子供がまだ赤ちゃんのときに手にして読んだのですが、日常の大変さを笑い飛ばすことができました」というアマゾンのレビューがありました。”Bird by Bird”の本の最後のほうに、自分がそれまで書いてきた本のことについても言及があったのですが、個人的なこと(父親の死、親友の死、自分のシングルマザーとして赤ちゃんを育てた最初の一年)などをテーマにしながら、「でも同じようなことが起こっている人がいるかもしれない。そんな人たちが読んで、おかしくて笑えて勇気が出るような本があればと思った」という、彼女が書く動機に触れることができます。

中でも秀逸だと思った箇所は「出版」についてのくだりで、出版前の小説家志望者たちの「出版すれば人生がバラ色になる」という幻想を見事に打ち砕くような自らの経験が書かれています。そこで出てきたのが表題の言葉です。「クール・ランニング」というジャマイカのボブスレーチームがオリンピックに挑んだ映画の中でチームのコーチが言った “If you’re not enough before the gold medal, you won’t be enough with it” (金メダルをとる前に『自分は十分だ』と思えないのであれば、金メダルをとったってそう思えやしないよ) 」という台詞を引き合いに出し、「出版も然り。この台詞を切り取って机の前に貼っておくといい」と書いています。そして、”Being enough was going to have to be an inside job”である、と。“Inside Job”とは「中にいる人の仕事」という意味で、よく犯罪ドラマなどで使われる言葉ですが、ここの意味は「外からの評価とは無関係のところで、努力した自分の頑張りについて、あるいはその出来について、自分自身の満足感で心が満たされていないのであれば、たとえ金メダルや出版というゴールを達成したところでそれが変わることはない」というところでしょうか。

私たちもよく「○○さえあれば・・」「XXが△△でありさえすれば・・」、そうすればもっとハッピーになれるのにという思考に陥ることがあります。これは現在のことでも過去に起こったことでもそうでしょう。でも、「今、ここ、この状態」の自分に対して心が満たされていなかったら、それらが叶ったところで一時的な渇きはいやされても、いずれまた別の何かがないとハッピーでいられなくなるのではないでしょうか。Anneは自分の体験も交えながら「作家にとっては書くこと、書けることがすでにご褒美だということを噛み締めなさい」と言っているかのようです。また、外からの評価とは無関係の価値基準で、”enough”、つまり「自分は精一杯やった」ということに満足できるようになるためには、人間的な成長が必要です。罰や、物や愛情というご褒美を理由に頑張るような状況では、この”Inside Job”のスキルを身につけることは難しいのかもしれません。

彼女の本は他にもたくさんあり、いくつかはオーディオブックにもなっていて図書館で借りられることがわかりました。彼女の他の本も読んでいきたいと思います。