01/31/11
先週木曜からフロリダに行っており、昨日の深夜に帰ってきました。私が教えている親子コミュニケーションコースの創始者であるKathryn Kvolsから直接ディレクター・トレーニングを受けてきました。彼女が30年以上も前にRedirecting Children’s Behaviorというコースを作るとともに、同タイトルの本を書いたのです。全米のみならず、世界の14ヶ国でも教えてられているということも知りました。
また、今回詳しく聞いたところでは、Kathrynの夫であったBill Riedlerという人が二人でRemembrance Course(当初はUnderstanding Yourself and Othersという名前でした)やそのほかのパーソナル・ディベロップメントのコースを作ったのです。このRemembrance Courseも最初は週に1度、6週間のコースだったそうなのですが、数年後に今のような週末のコースに変えたということでした。当然、最初のうちは創始者のKathrynとBillの二人で教えていたのだそうです。1970年代の話です。その後、二人が離婚することになり、ビジネスでそれぞれが気に入っていた部分をとって、Kathrynはこの親子コミュニケーションコースに注力してInternational Network for Children and Families(INCAF)を作り、Billはパーソナル・ディベロップメントのコースを行うGlobal Relationship Centerを作りました。その後Billは病気で死亡、私のメンターでもあるPamela Dunnが引き継ぎ、現在のYour Infinite Life Coaching Companyとなりました。
Kathrynは再婚してもう20年になり、前の結婚からの子供たちも合わせて7人家族です。見慣れた写真から比べると年はとっていましたが、目がとてもきらきらしてエネルギーあふれる、それでいてとても柔らかな雰囲気を持った魅力的な人でした。声や表情の雰囲気が「サウンド・オブ・ミュージック」のマリア役のジュリー・アンドリュースを彷彿とさせる感じでした。3日間にわたり、このコースのインストラクター・トレーニングを一緒に受け、また一緒に教えました。3年前にSusie Waltonに受けたトレーニングでしたが、改めてこのコースの奥深さや、子どもを大切にし尊重する哲学に触れ、これからの課題に対する決意を新たにすることができました。住む場所は違っても同じ志を持った仲間に会えたことも大きな収穫のひとつでした。また、今回は、子どもに命令をしたり脅したりすることが脳の中でどのように反応しているかという部分の情報も加わり、より論理的な説明もできるような指導がされていました。ますますパワーアップした親子コミュニケーションコースをこれからも開催し続けて行きます。
01/27/11
現在アメリカで大変な論議を呼んでいる“Battle Hymn of the Tiger Mother”という本があります。この本は中国系アメリカ人の母親が自分の子育てを振り返った自叙伝という形で書かれており、メディアではまだ幼なかった娘たちに対して何時間もピアノの練習をさせたり、次女からの手作りの誕生日カード突き返したりというようなエピソードが取り上げられています。控え目にいっても彼女の子育ては「かなり厳しい方針」と言えるでしょう。アマゾンでもこの本の評価は真っ二つに分かれています。私はまだ本を読んでいないのですが、最新号のTIME誌でこの話題が著者のインタビューとともに取り上げられていました。それによると、著者のChua自身もこのような厳しい方針で育てられたそうです。著者の「子供の頃、親が選択肢を制限して厳しく躾けられ、可能性を最大限に生かせるように育ててくれたおかげで、大人になってからの選択肢が広がった」というコメントが印象的でした。TIME誌は心理学者の調査なども引き合いに出しながら、たとえば計算ドリルなどをとことん繰り返させ、考えなくても出来るレベルまでもっていくことで、もっと高いレベルの思考をするだけの余裕が脳に生まれることから、ひたすら繰り返しや練習をさせることに意味があるという指摘をしています。一方で、親子のあたたかい心の交流の欠落や、言葉による脅しやプレッシャーが子どもに与える悪影響という観点から問いかけを受けた著者は「確かに(たとえば、長女を”garbage”(ごみ)と呼んだというエピソードなど)やりすぎたという部分はある」と認めるコメントが載っていました。
本の出版から大変な論議を読んだおかげで、著者のところにも様々な感想が寄せられているそうです。「やりすぎだ」という声がある一方で「自分の親ももっとプッシュしてくれていたら、もっと大きなことができたかもしれない」という感謝の声もあるということでした。確かに、「そこそこ」ではない、抜きん出た技術を磨くためには、長い間の鍛錬が必要ですし、子どものうちからそれをやらせるためには親の確固たる方針をもとにきっちりと導いてやらなければならないという面はあるでしょう。「あなたはもっとできるはず」という言葉や態度で、最大限まで努力をさせること自体は必ずしも悪いことではないと思います。でも、一方で、そこに無条件の愛情はあるのだろうか?あるいは、無条件の愛情をきちんと感じさせることはできるのだろうか?と感じます。親自身はもちろん「あなたのためを思うから言ってるのよ」「あなたには出来るはずと信じているからプッシュするのよ」と知っているし、それを言葉では子どもに伝えるでしょう。でも、子どもが「たとえお母さんの期待に応えられなくても、自分は価値のある人間なんだ」「たとえ最高の成績が取れなくても、お母さんの愛情には変わりがないんだ」と、頭でなくハートで感じることができるでしょうか?
TIME誌の記事は、最後に「中国系ではあるが、この本のストーリーは”Quintessentially American” 、典型的なアメリカの物語だ」と結論付けています。移民としてアメリカにやってきて、身を粉にして働き、子供でも言い訳の余地なしに粘り強く頑張ることが成功の秘訣だと言われたら、それに対して反論の余地はほとんどない、と。著者の娘たちは今10代後半になっており、自分の子供たちにも同じような躾をするだろうと言っていることから、今となっては母親のChuaに対して感謝していることが伺えます。彼女たちは、自分たちがそこまで「優秀」でなかったり、親の期待するようには才能を発揮できなかったとしても、親の愛情には変わりがないと心から実感しているのかどうか、とても興味深いところです。著者の言うように、アメリカの典型的な親が「なんでもないこと」に対して子供に賞賛の声を浴びせて、その結果、子どもが褒められないと動かない子どもになってしまったり、「ひ弱」になってしまうという一面はあるかもしれません。でも、学校の成績や他人からの評価がここまで内面化(人間の価値を左右する原因となっている)されている社会において、子どもが生きる中で経験する挫折や失望を乗り越えられる強い心を持った大人になっていくには、条件つきでない愛情をどのように、どれほど感じさせることができるか、ということが、とても大きな意味をもつと思います。アマゾンのレビューでは「著者が娘たちがいかに成功を修めているかがさんざん書かれている」というものもありました。実際のところを知るために、やはり本を読んでみるつもりです。
01/24/11
先日の記事にも書いたRemembrance Courseが昨夜7時半ごろ終了しました。私自身、参加者としての受講は2008年の6月でしたが、それから2年後の去年の6月からアシスタントとして参加してきました。一度コースを受講すると、アシスタントとしての参加ができます。参加者の時とはまた違った気持ちや視点でコースを体験できるため、より包括的な学びが体験できると言われています。何より、一緒にコースを受講し、またサポートをしている仲間とは、とても気持ちのよい時間を過ごすことができるし、初めて受講する参加者のために提供する時間や労力の何倍ものギフトを受け取ることができます。それはいろいろな気づきであり、学びであり、また自分が完全に受け入れられていると感じられることです。
今回は11人が参加し、日本人では18歳になっていた一(はじめ)君と、彼のお母さん、そしてもう一人21歳の青年がいました。一君は、ALSという難病を抱え、無理もないことですが、死が迫っているという状況で、コースを受ける前はとても落ち込んでいたそうです。12月11日に初めて彼の病気のことを知った直後から、このコースがきっと役に立つはずだと確信してその実現のために行動を開始し、多くの方の協力で、彼だけでなくお母さんも一緒にコースの受講ができることになりました。でも、正直なことを言えば、金曜日の夜はとても不安でした。行動を開始して参加費集めをしている時は「きっと役に立つ」という思いは確かでしたが、いざ参加が決定してコース開始の日が迫ってくると、「どんな期待をもってコースに来るのだろう」「どういう風に彼の助けになるのだろうか」という気持ちも湧いてきました。このコースは、すべての人に対して同じ質問をし、同じワークをするという形式ではなく、一人ひとりに必要な学びが得られるようにデザインされているので、何が起こるかということは文字通り蓋を開けて見なければわからないからです。金曜日の夜が始まった時、私が言い出したことで多くの方を巻き込んで二人をこの場に連れてきたのはいいけれど、もし「期待はずれだった」ということにでもなったら・・・という不安が頭をよぎりました。
金曜の夜は基本的な概念の説明と、チームワーク作りの活動をして解散になりました。土曜日の朝、一人ひとりの「順番」を決め、それぞれの参加者が前に出て自分の抱えているチャレンジや、コースに来た理由を説明し、インストラクターの導きによって段階を追って必要な学びを掴み取っていきます。今回の参加者の特徴としては若い人が多く、16歳~21歳が4人もいたことでした。また他の参加者も、自分についてもっと知りたいという好奇心を最初から持っている人ばかりだったので、グループとして打ち解けるのも比較的早かったように思います(意外に思うかもしれませんが、このようなコースに来ても、自分に好奇心を持つところまでとても長い時間がかかる参加者もいます)。
一君の順番は土曜日の夜、その日の最後でした。昼前にお母さんの番が来て、彼もそこに少しだけ登場しましたが、その夜まで、他の参加者は彼の病気のことは知らされていませんでした。その日一日中、一君がとても穏やかで、楽しそうで、他の参加者とも普通に交流をしていたためもありますが、インストラクターが彼の病気の話をした時、私にはみんながはっと息を呑む音が聞こえたような気がしました。涙ぐんでいる人も何人もいました。二人のインストラクターは、彼に対して「人生にはいろいろなことがある。いいことも嫌なこともその中には混じっている。でも、いいことだけを体験して感じて、いい気持ちにだけなることは難しい。悲しみや辛さを感じないようにするということは、気持ちを感じる神経を麻痺させるようなもので、そうしていると、喜びや嬉しさも感じられなくなる。生きるっていうことは、それらすべてが詰まっているパッケージなのだから」ということを説明しました。また、悲しみや辛さを表現できるような仲間や友達を作ることも、自分自身の責任なのだということも。
その後、その場にいる全員に対して、「一君に対して『可哀想』という気持ちを持つことは、彼がこれから先の人生を力強く生きていく助けにはならない。憐れみではなく、彼に対する愛情や感謝の気持ちから、あなたが彼から何を学んだか伝えてください」という指示がありました。一人ずつ前に出て、彼の手をとったりハグしたりしながら、彼がその人に何を教えてくれたか、彼の笑顔がどんなに素晴らしいか、彼が難病を持ちながらもこの場にいることがどんなに勇気を与えてくれたか、自分もつらいのにお母さんの気持ちを気遣う優しさに感銘した・・・などということを伝えていきました。中でも私が驚いたのは、自分の周りに殻を作って閉じこもっていた青年が「一君の存在があったから自分はこんなに早く殻を破って出てくることができた」と言ったことでした。一見、何の接点もないように見えた二人でも、そんなことを感じ取っていたのか・・と思いました。周囲を見回してもみんながこのことに対して同じ感動を味わっていたことは明白でした。
このコースの素晴らしさはこんなところにもあるのです。一人ひとりは自分のそれぞれの理由から参加してくるのですが、来てみると自分の存在が誰かのインスピレーションになったり、他の参加者が抱えているチャレンジを乗り越える手助けを文字通りすることになります。その結果、今まで行き場のなかった思いや、整理をするツールを持たなかったために封じ込めていた気持ちなどを表現し、昇華させていくことができるのです。面白いもので、その過程で、その人のために役を演じたりして手助けしている人にとって、それが必要な学びや癒しになっている・・・あるいは、それを受け取るのに最適な人が選ばれていくのです。こうして見ず知らずの人とだってこんなに濃い心の交流ができるという経験をすると、現在自分を取り巻いている人間関係についても、一呼吸置いた新たな視点から考えることによって、新しい道が開けてきたり、愛情や感謝の気持ちを持つことができたりします。
全ての人の順番が終わり、それぞれが次にとるべきステップをインストラクターから受け取って、日曜日の夜7時半すぎにコースは終了しましたが、中々去りがたい気持ちでみんな話をしたりお別れを言ったりしていました。会場を出て三村ご夫妻のお宅に向かい、そこで一君の一家も交えて夕食をいただきながら、一君は興奮した様子でコースのことを話していました。彼のご両親も、「表情が違う」と驚いていました。実は、コースの最中は一君とじっくり話すことはなかったのですが、その夕食の席で、彼は「このコースに来られて本当によかった。これから病気と闘う強い気持ちになれた」「教会にもサポートグループがあるんだけど、このコースで感じたみんなの愛情がとても嬉しかった」「4月の次のコースに戻ってきてアシスタントをする。10代のためのコースのヘルプもして、って言われたから、それもやる」と、これからの抱負を力強く語ってくれました。インストラクターからの彼の次のステップには、”Life Loves You”という言葉も入っていました。「毎日、この言葉を実感できることを何かすること」という課題でした。
今回、私もまた多くの学びがありましたが、ひとつだけあげるとすれば「リスクを取ることを恐れない」ことだったと思います。自分が大切にしているものや、いいと思っていることを人に伝えたり、そのイベントに招待することにはリスクがあります。拒絶されたり、今までと違う目で見られてしまったり、また実際に体験してもらって必ず楽しんでもらえるとは限りません。でも、その人が気に入るかどうかまでを自分の問題として引き受けるのではなく、結果を恐れずに、自分がいいと思うことは人に伝えてみること。「この人によさそうなんだけど、どうかな」と思いながら、恐れを優先させて行動をとらなかったら、その結果自分が傷つくこともないかわりに、その人にとって役に立つ経験になるかもしれないというチャンスもなくなってしまうのですから。インストラクターに”Thank you for taking the chance and bringing these beautiful people” と言われた時、このリスクならとる価値がある、と心の底から思いました。これから先も何度も何度もこのリスクをとるだろう、と。
次回のThe Remembrance Courseは4月29日から5月1日です。参加費は大人$475、学生$425で、申し込みを受け付けています。コースについてのお問い合わせはメール(etsuko@mypeacefulfamily.com)にてご連絡ください。
01/20/11
今週末、またRemembrance Courseがあります。
このコースの詳細はこちらをご覧ください。
今回は、友人ご夫妻の17歳の息子さんが参加されます。彼はALS(筋萎縮性側索硬化症/別名ルー・ゲーリック病)という大変珍しい病気を患っています。12月に私の本の出版記念パーティで久しぶりにご夫妻にお会いして、息子さんの病気の話を聞いたときに、私はすぐに「Remembrance Courseに出られたらいいのでは」と思いました。お友達も多いご夫妻には仲間がたくさんいて、みんなも「何かできることはないか」と思っていることがすぐに感じ取れたので、協力を呼びかけ、短期間のうちに彼のコース参加費$425がすぐに集まりました。その後も寄付は舞い込み、ご家族からもう一人が参加できるだけの費用も集まりました。そのことが素直に嬉しいです。
実際に寄付を下さった方だけでなく、寄付を呼びかけたブログ記事に対して、100人を超える方が「いいね!」ボタンを押してくれたことにも感銘を受けました(「いいね!」ボタンが押されると、そのたびにリンクがシェアされて、波及していくのです)。また、Facebook上でもこのニュースを皆さんが協力して伝播させていたので、大きな広がりがありました。オンラインでの寄付も受け付けていたため、日本在住の方が真っ先に寄付を下さり、とても感動しました。
今日にはインストラクター陣がサンディエゴ入りし、コースは明日から始まります。私もアシスタントとして参加します。去年の6月を皮切りに、8月、11月、今回と、4回目のアシスタント参加です。アシスタントとして参加する度に、新たな学びや気づきがあり、結果的に『魂の洗濯』をしたような、とてもすっきりとした気持ちにさせてもらえます。また、週末の参加を、二人の子供たちの世話を引き受けることで可能にしてくれる夫の協力にも感謝しながら、参加してくれる方々のお役に立てるようにベストを尽くしたいと思います。今回、いろいろな形でご協力をいただいた皆様、本当にありがとうございました。
01/17/11
ここ数年、毎年1月にビジョン・ボードというものを作っていました。以前は活発に活動していたSix Figure Moms Clubというワーキングマザーの集まりを始めた人が主宰してくれていたのですが、去年その彼女はプライベート面で離婚を経験するなどさまざまなことがあり、今年はその恒例の集まりがなかったのです。なんとなく張り合いがない感じで新しいビジョン・ボードも作っておらず、今年はどうしようかと思っていた時、サンディエゴでライフ・コーチをしている友人の女性に「目標設定のワークショップがあるけど来ない?」と誘われたので二つ返事で行くことにしました。1月8日のことでした。
ワークショップは主催したその友人夫妻のリードで行われ、目標を設定する前にひとつひとつの質問に答えていくというプロセスがありました。目新しかった質問としては、「今年は何をやめるか」というのを考える時間があったことでした。前からやめたいと思っていたこと(タバコやだらだらテレビを見るといった習慣)などというわかりやすいものから、人や出来事に対する怒りや、過去にあったことについてずっとひきずっている後悔など、心の内面に向き合うようなものまで、彼女のガイダンスに従っていろいろな方面から考え、書いていくように言われました。何をするか、と同時に、何をやめるかについて考え、実行することは、物理的・精神的に限られているエネルギーを本当に大事なことに向けるために大切なことだという説明がありました。参加した人たちはみんなとても真剣に考えていました。その「何をやめるか」ということを書いた紙は、その後破って捨てたり、燃やしたりすることで、それらの事項と決別するというプロセスまでついていました。
全体では4時間のワークショップでしたが、既に次の予定が入っていたため私は目標設定の全ステップの見通しがたったところで中座しました。その後、家でワークシートを完成させ、一年のよいスタートを切ることができました。今年も去年のようにいくつかの大きな目標がありますが、そのひとつをやはりここに書いておきます。それは「著者あるいは訳者として塚越悦子と名前の入った本を5冊出版すること」。とても大きな目標で、現時点ではものすごく頑張ってやっと達成できるかどうか・・というところです。でも、簡単に達成できそうなことでは挑戦しがいもないし、見ている方もつまらないと思うので、敢えてこの目標を掲げます。また、目標到達への進捗状況については、随時このブログのメルマガに書いていきますので、ご興味がある方は、ぜひこちらからメルマガに登録してください。そして、皆さんにも是非「無理かな?」と思うくらいの目標を敢えて選択して、紙に書いたり、周囲に話したりすることをお薦めします。
01/12/11
前回の続きです。
2007年の10月、次男誕生を目前にIndigo Villageの代表Susie Waltonが教えるRedirecting Children’s Behaviorという親子コミュニケーションコースを教え始めました。コースの内容に非常に感銘を受け、インストラクターになることを決意。このインストラクター・トレーニングの過程でRemembrance Courseを受けることになりました。
Indigo Villageで行われているこれらのコースを受けていくうちに、それまでよりもSpirituality(スピリチュアル的なもの)により興味が湧いて来ました。どのコースも特定の宗教色はありませんが、万物はつながっているという考え方、つまり”oneness”というコンセプトを大切にしていました。Remembrance Courseの次に受けた”Freedom To Be”と言うコースの教材の最後に、Onenessと題された一節が載っています。
“The largest living organism in the world is a grove of aspen trees in Utah. They each look separate but have a single united root system.
When we learn to stop blaming, we will be able to recognize how we are all one and cannot harm one another without harming ourselves…..”
これは、一見、別々の木のように見える枝が実は根っこではつながっていること。私たち人間も同じで、周囲のせいにしたり責めるのをやめたとき、私たちはみんなひとつであり、自分自身を傷つけずに相手だけを傷つけるということは有り得ないということに気がつく、と言っています。
先日、オレンジ・カウンティに住むスピリチュアル・カウンセラーのMieさんとお話をしたときにもこの”Oneness” という言葉が出てきました。せっかくの機会なので、私たちのインターネットTV番組「Wealthy Life TV」にご出演いただき、「人生の青写真」という考え方についてお話しいただきました。Mieさんによると、魂は「この世ではこんな学びをしよう、そのために必要な経験をしよう」と自分で決めてくるのですが、生まれるときにそのことを忘れてしまっているそうなのです(次に何が起こるかわかっていたら効果的な学びにならないので)。それぞれの魂には果たすべき役割や使命があり、それを達成したときに寿命が来る、と。また、魂の学びにもレベルがあり、よりハイレベルな学びをする魂は、チャレンジの多い人生を自ら選んでくる、それはあたかも自分で「中学レベル」や「大学レベル」などの問題集を選んで来ているようなものなのだそうです。でも、魂はそれぞれ自分の成熟度を知っていて、手に負えないレベルを選んで来ることは絶対に有り得ないということでした。
この考え方は既存の宗教とは少し離れたものかもしれません。例えば仏教では親より先に死ぬことは親に悲しみを与えるため重罪という考え方をしています。でも、Mieさんのお話ししてくれたこの考え方では、使命を果たしたから寿命が尽きて今生が終わった、ということになります。人は自由な思考能力がありますから、どの宗教を信じるか?どの考え方を採用するのか?は自由に選択ができます。いろいろな考え方があるからこそ人間らしいのであって、みんながこの考え方に賛成する必要はありません。ただ、みろくを亡くした経験のある私にとって、大切な赤ちゃんが「親不孝の罪をつぐなうために賽の河原で石を積んでいる」と思うよりも「魂の学びのためと、私たちに何かを教えるために来てくれて、そして使命を果たしたから去っていった」と考えるほうが納得がいきました。
また、「魂が人生の青写真を自分で選択してくる」と考えれば、現状がどんなに苦しかったとしても「乗り越えられないはずはない」と知る・あるいは信じることで、生き続けられる場合もあるのではないかな、と思います。例えばいじめられていたり、夫婦仲が悪かったり、子どもが暴れていてその瞬間は可愛く思えなくても、自分にはその状況をなんとかする力があると信じて、何かいい方法ないかな?と問いかければ、脳もそれに答えようとするでしょう。Mieさんのお話を伺って、現代に生きる人々の多くに勇気を与えてくれる考え方ではないかな、と思いました。「人生の青写真」以外にも示唆に富むお話がたくさんありましたので、見逃した方は是非こちらから録画をご覧ください(音声が不安定なので聴きづらいかもしれません。Mieさんの周辺ではよくあることとおっしゃっていました)。Mieさんのブログはこちらです。
01/10/11
大昔ですが、日本で表題のフレーズが流行ったことがありました(日本に来ていた宣教師の口調を真似たカタコト日本語風でした)。日本人が海外に出て初めて気がつくことのひとつに、日本人と外国人との宗教感覚の違いがあります。私は高校生の時にAFS交換留学生としてドイツに行った際、ホストマザーから「日本ではクリスチャンが人口の3%ほどしかいないのに、なぜ教会でのウェディングがあれほど盛んなのか」と聞かれてうまく答えられなかったことがありました。とても印象深い体験として今でもよく覚えています。
著書「国際結婚一年生」でも書いていますが、その後結婚してアメリカに来た時も、あなたの信仰は何か?ということを問われる機会が少なからずありました。一時は夫の家族関係を壊しかねないようなところまで発展したこの問題に、私は「日本人同士だったらここまでにはならないのではないか」と感じました。
アメリカで”Do you believe in God”? と聞かれる場合、かなりの確率でそのGodはキリスト教の神を差しているといっていいと思います。ホテルに泊まれば必ず部屋にはキリスト教の聖書がありますし、数字の上だけから言えば人口の80%近くが「自分はクリスチャンである」と言う社会では、「神がすべてを創造した」という見地から、ダーウィンの進化論を公立の学校の授業で教えるべきではないという議論が真剣に行われたりします(創造論といわれる考え方です)。このあたりは、日本で生まれ育ち、特にキリスト教に関する宗教的・学問的な教育を何も受けずにきた人にとってはすぐには理解しがたいものがあるのではないかと感じます。いずれにしても、日本にいる時と比べると、アメリカで暮らしていると宗教についてより考える機会が増えることは確かでしょう。
また、多様な文化が混在するアメリカでは、キリスト教以外にもさまざまな種類の宗教を信仰している人々が多くいます。たとえばクリスマスを祝わないユダヤ教のご家庭では、子どもをクリスマス会にも参加させない方針ということもあります。今年のクリスマスは家族でサンフランシスコに行きましたが、クリスマス当日の12月25日に唯一開いていた博物館は”Contemporary Jewish Museum”でした。そこには、仏教も神道もキリスト教もある意味寛大に受け入れ、それぞれ宗教的な意味を持った行事を部分的にでも生活に取り入れてお祝いやイベントをしている日本人の習慣からは遠く離れた、「明確な線引き」のようなものがあるように感じます。
私の宗教(的なもの)との関わりは、夫の家族とのことを別にすれば、サンディエゴに来てから何回か仏教のお寺のサービスに行った程度に限られています。でも2007年にIndigo Villageに出会ってから、宗教というよりはスピリチュアル的なものについて、日本にいた時よりも高い関心を持つようになりました。これについてはより詳しく次回の記事で書くことにします。
01/07/11
去年の11月頃から、サンディエゴ在住の友人の三村ご夫妻と協力して、Ustream(ユーストリーム)というインターネットのテレビ番組を行っています。 三村浩さんはご専門の不動産投資という観点から、そして私はMy Peaceful Familyのミッションである「穏やかで愛情に満ちた家庭環境を作り出そう」という視点から、「Wealthy Life TV」と題されたこの番組で、物質的にも精神的にも豊かな人生にしていくための情報を毎週30分ほどに渡りお届けしています。
去る水曜日には新年初の番組を放映しました。番組が始まる15分ほど前に自宅からスカイプで連絡したところ、「酵素断食」という断食真っ最中の三村浩さんが、大阪の薬剤師&心理カウンセラーである白石光彦先生とスカイプでお話をされていて、ちょうどいい!今日の番組のゲストで出演していただきましょう、ということになりました。白石先生(通称「みっちー先生」)は薬剤師で、漢方やサプリメントの処方のほか、ダイエットや体質改善をされたいお客様を中心に酵素断食を指導されていらっしゃいます。番組の中で、20分ほどにわたり、酵素断食のメリットや、白石先生の「ハッピー・エイジング」というご提案についてお聞きしました。とても興味深く、またためになるお話で、私もお伺いしながらメモがわりにツイッターでつぶやきました。
一部をご紹介すると、
・脳内物質のドーパミン(わくわく感)も、アドレナリン(危機一髪の時に出る物質)も、出すぎるとよくない。言って見ればドーパミンはアクセル、アドレナリンはブレーキの役目をする。
・この二つのバランスをとる物質がセロトニンで、この95%は腸で作られる。従って、腸の機能を整えるとセロトニンの生産量もアップ!
・痩せたいからといってただ「飲まず食わず」という断食だけのダイエットは逆効果。その時は痩せるかもしれないが、リバウンド間違いなし。
・先生の推奨している「酵素断食」とは、50種類以上の野菜や果物を発酵させて作った「植物エキス発酵飲料」。この酵素ドリンクを決まった量飲む断食で、3日間行うもの。血糖値という観点から「脳を満足させておく」ことができるので、無理なくできる。
酵素断食は、減量だけなく体質改善にも役立つとのことでした。みっちー先生こと白石先生のブログはこちらです。お話も大変面白い優しい先生でした。詳しくはこの番組の録画をご覧ください。
この「Wealthy Life TV」は、アメリカ西海岸時間の水曜日午後8時半ごろから、(日本時間だと木曜日の昼)毎週放映しています。録画もこちらのリンクからご覧いただけます(下のほうに今までの番組の録画が出ています)。インターネットが通じているコンピュータさえあれば誰でも見ることができますので、是非一度ご覧ください。
01/03/11
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。
これは村上春樹の「1Q84」の2巻目の帯に書かれていた言葉です。
12月に日本で第3巻を入手したことをきっかけに、改めて第1巻から読み返していて見つけました。最初に読んだときには特に気に留めなかったのですが、2010年の終わりにこの言葉を見つけて、なぜかとても気にかかっていました。
その理由のひとつとして、「感じる気持ちには良し悪しはない」という考え方があります。私が教えている親子コミュニケーションコースでは、「『ポジティブな感情』・『ネガティブな感情』という価値判断は私たちが勝手に行っているだけで、どんな感情もそれ自体は中立である」というコンセプトを提案しています。例えば、子どもが何らかの事情で泣き出してなかなか泣き止まないとき、私たちは場合によってはとてもいらいらしたりします。
でも、「泣くこと」自体はよくないことでしょうか?
泣くことにはいろいろな利点もあります。大人の私たちでも、泣きたいだけ泣いたあとというのは気分がすっきりしたりするものですよね。適切な形での感情の表現や発散は必要なものだと私は考えています。
たとえば、痛みや悲しみなど、一般的には『ネガティブ』とされている気持ちを感じることは「つらい」という思い込みにより、その気持ちに浸ることを避けてしまった場合・・・じっくりと感じつくされなかった感情や、表現する場のない感情というものは体内にたまっていきます。ストレスや心配事をうまく発散したり解決したりできずにそのままにしておくと病気になってしまうことは、多くの人が自ら体験したことがあるか、あるいは体験した人を知っているのではないかと思います。
村上春樹の「1Q84」は小説ですが、この言葉は私にとって非常にリアルな響きがありました。心の中で何かを思ったり考えたりしても、それをその場で思いのままに表現することが不適切であれば、そうせずに生きていく術を大人であればもっていなければなりません。そのスキルを持たなければ、普通に社会生活を送ることも難しい場合もあるでしょう。でも、心の中で感じたけれど、何らかの形で表現しなかった、あるいはできなかったことは、そこに別の世界を作り上げていき、場合によってはその人の現実の世界にも影響を及ぼしていくとしたら・・・それが本当であるなら、人は心の中で思ったことについての責任のようなものをいずれ何らかの形でとることになる、ということかな・・と、正月気分をあまり感じさせないアメリカで迎える新年の2日目に考えました。
2011年、どんな形で私の心の中のものごとが実現化していくのか、または別の世界を作り上げようとするのか、楽しみでもあり、また心していかなければ、という気持ちがしています。皆さんは今年実現させたいものごとについて、心の中にどんな絵を描いていますか?心の中にある、「こうはなってほしくない」という気持ちについてのケアはできていますか?