04/20/12
チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世が、サンディエゴ州立大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校、サンディエゴ大学の3大学で講演を行うためサンディエゴを訪れました。三男が生まれた日に発売になったチケットを友人の協力で入手し、心待ちにしていた日がついにやってきました。ひょんな縁から親子コミュニケーションコースの大先輩であり、私のメンター、そして大切な友人でもあるSusie Waltonと一緒に行くことになったのも必然だったのでしょう。今朝、サンディエゴ州立大学の会場で会った彼女は「きのうは楽しみで眠れなかったわよ!」と興奮気味。以前にも2度、講演に行ったことがあるということでしたが、ダライ・ラマが会場に姿を現したときには涙を流していました。
バスケットボールなどに使われるアリーナでは、中心に設置されたステージを観客席がぐるっと取り囲むような形で、私たちの席はステージの後ろからみるような形でした。講演中は主に天井に設置されたスクリーンに映る姿を見ていましたが、話の内容もさることながら、本人の持つオーラのような、力強い、それでいて攻撃的ではない空気が感じられました。話題は宗教のこと、許しのこと、親として子どもにするべきこと、最大限の幸せを感じる人生を送るには・・・・など多岐にわたり、講演時間の45分ほどはあっという間に過ぎました。
その後30分ほど質疑応答の時間となり、あらかじめ寄せられた質問を担当者が読みそれに答える形ですすめられました。ダライ・ラマの講演を聴くというのは初めての体験でしたが、77歳とは思えないパワー。そして意外にもとてもユーモアに溢れ冗談を交えながらの講演で、会場からはしばしば笑い声が聞こえました。アジア人らしいアクセントのある英語で、ときどき通訳者に「英語でなんと言うのか」と尋ねながらの話だったのですが、私が理解した限りでいくつか印象に残ったことをあげておきます。
・「自分」と「他人」の境目は(本来は)ない。すべては”Oneness”つまりつながっている。
・物理的な快適さと精神的な安らぎという二つの価値観がある。物理的な快適さはお金で買えるものだが、それでは精神的な安らぎは得られない。また、例えば病気などで身体的にはつらくても、精神面での安らぎや強さがあれば乗り越えられる。
・親(特に父親)は子どもともっと時間を過ごすべきだ。そして子どもに対して”Maximum Affection”(最大限の愛情)を注いでやることが、Compassionをもつ世代を育てることになる。また子どもには出来るだけホリスティック な体験をさせてやることが望ましい。
・たとえ「敵」と思う人がいたとしても、その相手自身が、自らのネガティブな行いの結果起こることを体験することになる。許しとはその相手への気遣いから起こる感情である。
・仏教の教えは「信仰心から教えを受け入れなさい」というものではなく「自ら体験し実験することで教えを受け入れなさい」というもの。その意味では、ブッダは科学者でもあると言えると思う。
・最大限、幸福な人生を送るためには「心の平安」が欠かせない。一人ひとりが幸福な人生、幸福な家族を築き、そして社会に貢献することで、よりよい未来が築かれる。そして正直に生きること。
・私の二つの目の片方は世界をみている。そして片方の目は来世を見ている。
質問のひとつに「あなたは世界中の人をインスパイアしていますが、あなた自身がもっとも影響を受けた人は誰ですか」というものがありました。これには「私は仏教徒なので、偏見があると思いますが・・・」と前置きし、「ブッダです」。これには会場も大爆笑。その後、ガンジー、マザー・テレサなどの名前を挙げていました。また、最後のほうで、日本の地震と津波のことにも触れ、実際に被災地を訪れたことを話していました。そして「日本は第二次大戦で何もなくなったところから立ち上がった。だから、また再建できると信じている」とも。講演を終えたあと会場を埋め尽くした観客から拍手喝采を受けながらアリーナをあとにしました。講演はウェブカメラで放映され、編集版がローカルテレビでも放映されるとのことです(スケジュールはこちら をご覧ください)。帰りの車のなかで、子どもたちに最大限の愛情を注いでいるかな・・・と自問自答。それを可能にするためにはやはり自分自身のケアをすること。時間に追われる毎日なので難しく感じられることは確かですが、家族みんなで仲良くハッピーな生活を送るためにもそれはとても大切なことなのだと改めて感じました。質問の中にも「自分はちっぽけな存在。こんな私に何ができますか?」というものがありましたが、すべては自分から始まるのです。自分自身を幸福にし、家族の幸せに貢献し、それがコミュニティや国、世代・・・につながっていく。そんな思いにさせられたダライ・ラマの講演でした。
03/22/12
2月22日に三男を出産してから早くも4週間が経ちました。過去一ヶ月を振り返ってみると、生後7日目から右の頬と耳の周辺あたりにこぶのようなものが出来始め、10日目に新生児ICUに緊急入院。MRSA感染とわかってからは抗生物質での治療が始まり、10日間を病院で過ごしました。退院後も経口抗生物質の投与を続けていましたが、今日無事に「現時点では完治」という医師のお墨付きをもらいました。退院してから約10日間で改めて「赤ちゃんのいる生活」のリズムがようやくつかめてきました。
生まれる前までは「3人目だから」と気持ちに何となく余裕があったものの、予想外の入院騒動にやはり緊迫し、心身ともに消耗しました。特に入院後4日目、5日目あたりが一番きつかったように思います。5日目には「抗生物質の投与が長引きそう」ということで、PICCライン (日本語では末梢挿入中心動脈カテーテル)を入れたのですが、右足首から入れていたこのPICCラインの管が左足にからまり、それがとれてしまうという事態が発生。そのときに病室にいたのは私だけで、すぐに助けを呼んだのですが、看護婦は部屋に入って事態を知るや私の顔を見て大きなため息。また赤ちゃんに痛い思いをさせて入れなおさなければならないということと、看護婦の責めるような表情や口調に、それまでの疲れや不安な気持ちが一気に爆発して、気がついたら涙が頬を伝っていました。看護婦はあわてて「あなたのせいじゃないわ」ととりなすような口調になりましたが、時すでに遅し。PICCラインのチームが来るので部屋を出るように言われたのでこれ幸いと病棟を飛び出し、昼食に行っていた夫を見つけて何が起こったのか泣きながら話しました。新しいPICCラインを入れるまでは病室に戻れなかったので、その間外を歩き回ったり、休憩室で横になったりして何とか気分を落ち着かせること数時間。結局、その日の夜に新生児ICUを出ることになり、後半の入院生活は快方に向かうのを待つ日々となりました。
MRSA感染というと、日本の友人からは「院内感染なのか」とよく聞かれました。確かに昔は院内感染するものであったそうなのですが、今ではアメリカ人口の30%はこのバクテリアの保持者といわれ、皮膚などに普通にいるもので、健常者には特に害は及ぼさないため、どんな経路で感染したのか特定するのは不可能に近い状況です。また、三男の頬や耳のあたりに、cystといわれる液体のたまった袋上のものがあり、それが感染を容易にしたという可能性もあるため、数週間後に再度MRIを行う予定になっています。いずれにしても現時点ではひとまず終息して安心していると同時に、あのタイミングで医者に診せに行き、適切な治療をすぐに受けられたことは本当によかった・・・という思いでいっぱいです。無事に退院して家に帰ることができたことも。そしてせっかく授かったこの小さくて(一見)頼りない命を、大切に育てていかなければという気持ちを新たにさせてくれた経験でした。
01/26/12
去年の11月ごろにお話をいただいて執筆した「国際結婚」に関する記事が、こちらのThe Japan Times for Women: 世界を見つめる女性の生き方 に掲載されました。日本では1月27日に全国の書店で発売になる予定です。
このムック本(大型本)は、海外経験や優れた語学力をもつキャリア志向の女性を読者に想定し、「世界を舞台に輝きたい新世代大和撫子のための知的向上キャリアマガジン」というコンセプトで作られました。
本の目次は下記のようになっています。
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【目次】
巻頭特集: Global Beautyインタビュー
・知花くらら(モデル・タレント)
・佐々木かをり(株式会社イー・ウーマン代表取締役社長)
特集1: 「グローバル・ウーマン」をリアルレポート!
海外や国内外資系企業で活躍している8名の女性をレポート。仕事内容や人生の転機、海外での経験などを熱く語る。
特集2: 大使公邸へ、ようこそ
憧れの大使夫人が公邸内を誌上案内。日常の公務ってどんな内容なの?女子力をアップする方法って何?など貴重な話題が満載。「お国料理レシピ」「おもてなしマナー」なども掲載。【紹介国】フィリピン、モロッコ、スウェーデン、コロンビア
海外で暮らすという選択
海外で暮らすためにはどんな準備と心構えが必要なの?国際恋愛・国際結婚カップルがホンネを語る。
みんなどうしてる? 語学力キープ
「せっかく留学したのに帰国したら語学力が落ちてしまいそう」。語学力キープのためのテクニックを紹介。監修:関谷英里子(通訳者)
資格試験スケジュール・申込締切一覧
語学系試験を中心に便利に使える見開き年間カレンダーを掲載。
社会人からの留学プランニング
「キャリアアップ」から「有給休暇などを利用した習いごと系ミニ留学」まで目的別に紹介。
Smart & CoolなE-mail術
『働く女性の英語術』著者、光藤京子氏による英文ビジネスメール講座。
海外メディアから見た日本
世界の中で日本はどう見られているの?「東日本大震災」「なでしこジャパン」「首相の変遷」について解説。
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「海外経験」「語学力」「キャリア志向」というキーワードに代表されるような女性は、国際結婚をする可能性も高いと思われます。国際結婚の実際のところは?ということを限られた紙面にまとめるのに苦労しましたが、編集を担当してくださった方とのコミュニケーションもスムーズにいき、楽しくお仕事をすることができました。書店でみかけましたら、ぜひお手にとってご覧ください。
01/09/12
早いもので新年最初の一週間が過ぎました。今年は数週間後に出産を控えているため、「今年の目標」と言われればまず「無事出産すること」が思い浮かびますが、同時に「毎日を意識的に過ごす」 ことを心がけたいと思っています。「多くのことを成し遂げる」というよりは、いかに毎日、毎時間、毎分、あるいは毎秒を「今これをやっている」あるいは「こういう気分である」ということに注意を払って過ごせるか。つまり、”Be Present”ということですね。頭では理解していても、実践するのは難しいコンセプトですが、妊娠、出産、新生児のお世話という、ある意味自分ではコントロールできない要素が多い出来事を体験するチャンスを与えられているので、”Doing”が制限されることやその不自由さにイライラするよりも、”Being”により重きを置いた時間にしてきたいと思っています。
そんなことを考えていたら、ちょうど一年前に実際に初めてお会いする機会のあった堀正岳さんのブログ記事「人生3万日だと思ってはいけない」 に遭遇しました。義理のお姉さまを亡くされるという突然の不幸に、改めて“There is only today” ということを思い知らされた・・・という内容でした。こうした突然の出来事を前にして、私たちにできることは、やはり今を大切に生きることです。言葉にすると本当に陳腐でありきたりですが、今の状況は永遠に持続しないということを忘れずにいること、あるいは毎日自らにリマインドし続けて意識的な生活をすること。たとえその時選ぶ行為が「横になって休む」だったり、「テレビドラマを見てリラックスする」ことだとしても、そういう目的をもっていると自覚しながら行うこと。長期的な計画や目標を立てるなということではなく、それを念頭におきつつ「その実現のために今何ができるか?」と、常に「今」に置き換えてみること。その上で「今」を心地よく過ごせているかどうか、過ごせていないとしたらどうすれば変えられるのか。状況をその時点では容易に変えられないのだったら「心地よくない」と感じる気持ちを変えられないか。そんなことを心がける年になりそうです。
12/30/11
曽野綾子の「夫婦、この不思議な関係」を読みました。国際結婚成功コンサルタントとしてカップルのご相談を受ける私にとって、結婚そして夫婦についての著者の視点は大変興味深いものがありました。1931年生まれの著者が結婚した当時と現在の状況はだいぶ変わっているものの、「結婚とは」「夫婦とは」ということについて示唆に富むエッセー集ではないかと感じます。
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特に私自身の結婚生活を考えたとき「これは共通するものがある」と思ったのは、曽野綾子が表現するところの夫の「冷たさ」についてです。再三「夫は冷たい」という表現で描かれている夫の特性というのは、「彼は私に何ら『変われ』という期待をしていない」ということでした。妻に「もっと~だったらいいのに」とか「~をしてくれないと困る」というような期待を一切しないということ。私の夫もこの点は非常に似ています。よく言えば自立しており他人に自分を幸せにしてもらおうとは考えていない。でもこの「個人主義」は、裏を返せば自分が変わることで相手が幸せになるとは信じていないとも言えるのでしょうか。曽野綾子の父親は、彼女の母親に対して「変われ」という期待があったために、母親にとっては気の休まらない結婚生活が長らく続いたとのことでした(後年、彼女の両親は離婚を選択)。この両親の結婚生活について、曽野綾子は「父親は心が温かかったからこそ母親を躾けたいと思っていたようだ」という表現をしています。「心が温かいからこそ他人に期待をしてしまう」というのも一理あるのかとも思いますが、そもそもは赤の他人であるパートナーと共同生活を送るのであれば、心が温かろうが冷たかろうが、常に自分に対して「変われ、今のままのあなたではいけない」というメッセージを受け取り続けるよりは、そのままの自分を受け入れてくれる人のほうが穏やかな気持ちで毎日を楽しく過ごせるだろう・・・・と感じます。
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もちろん細かいことを言えば不平不満がまったくない夫婦関係なんていうものは存在しないのではと思いますが、結婚するまでの間に長い時間をかけて大人になってきている人間同士、根本の部分では「そのままを認め合う」ということがなければ、やはり楽しい毎日を送ることは難しくなるでしょう。自分がどの道を選択するにしても、結婚について思うところのある人は何らかのヒントを得られる本ではないでしょうか。
11/14/11
先日家族で”Dolphin Tale” という映画を見てきました。傷ついたイルカが尻尾切断という現実に直面、人間が人工尾びれを開発してこのイルカを救い、今では戦争や病気などで腕や足を無くした人々に勇気を与える存在となっているという、実際に起こった出来事をベースにした物語です。
映画のあと調べてみたところ、ストーリーの多くは映画用にドラマチックな効果を狙って作られたフィクションなので、”inspired by true story” という表現がふさわしいということでしたが、何と言っても実際に尾びれを無くしたWinterというイルカが映画でも自分自身を演じていて、そのことだけでもこの映画にリアリティを持たせています。
普段シーワールドでイルカを見慣れている子どもたちも、2時間近い長い映画に飽きることなく見入っていました。映画の主人公である11歳の少年がこのイルカと心を通わせ、一緒に泳ぐシーンなどは、改めてイルカという動物の知能の高さや美しさにはっとさせられました。また、映画では戦時下のアメリカらしく、この主人公のいとこが戦争で負傷し足に障害を負うという設定になっており、彼がイルカとの交流を通してショックから立ち直り前向きに生きていくというシーンもありました。この少年やいとこの存在などはフィクションですが、実際にイルカのWinterのもとには足や腕を無くした人々が常に訪れています。
映画の最後のクレジットが流れるところでは、実際のイルカを救出した場面や、人工尾びれを開発して試しているシーンなどの記録がドキュメンタリー風に挿入されていました。イルカを傷つけたのも人間なら、それを救うのも人間。また、今ではこの”WinterGel”と呼ばれる、Winterのために開発された物質が人間の義足にも応用されているそうです。
このイルカのいるプールにはウェブカメラが取り付けられていて、Clearwater Marine Aquariumのサイト から見ることができます。記事を書くにあたり調べたところ、日本でも実は同じような出来事があったことを知りました。ブリヂストンのサイト では「イルカ人工尾びれプロジェクト」について紹介されています。
ストーリーや演技をというよりは、イルカのWinterを見に行く映画だな・・と感じました。家族連れには特にお勧めです。
10/31/11
私は日本で生まれ育ったので、大学卒業後にアメリカに留学するまでハロウィーンを祝う習慣とはほぼ無縁でした。9年前にアメリカに移住し、最初の子どもが生まれるまでの数年間は、友人で毎年気合の入ったハロウィーン・パーティを行うカップルに招かれ、適当な仮装をしてそのパーティに行くくらいでした。日本に住みながらアメリカという外国にあるお祭りであるハロウィーンについて最初に知ったのは、小学生の頃に大好きで繰り返し読んでいた「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」という物語の本だったと思います。クリアリーという作者のこのシリーズでは、ヘンリーという少年を主人公として毎回いろいろな事件が起こります。この中で、ハロウィーンの合言葉”Trick or Treat” が「いたずらかごちそうか」と訳されていたのが印象に残っています。本にはまた「お菓子がもらえなければ、窓に卵をぶつけるなどいたずらをしてもよい」と書かれていたので「お菓子を用意しないと何かされるのか」と思っていましたが、実際にアメリカに住んでみてそうではないとわかりました。”Trick or Treating” に参加しているのは、ハロウィーンの装飾をしている家というお約束のようです。
ハロウィーンといえば、忘れてはならない出来事があります。ハロウィーンのパーティに行こうとして、別の家に行ってしまった日本人留学生、服部剛丈くんが射殺された事件です。下記がWikipedia掲載の事件の概要 です。
1992年10月17日、ルイジアナ州バトンルージュにAFSを通じて留学していた日本人の高校生、服部剛丈(はっとり よしひろ、当時16歳)が、寄宿先のホストブラザーとともにハロウィンのパーティに出かけた。しかし、訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問したため、家人ロドニー・ピアーズ(当時30歳)から侵入者と判断されてスミス&ウェッソン社製の.44マグナム装填銃を突きつけられ、「フリーズ(Freeze「動くな」の意)」と警告された。しかしながら服部は仮装の際にメガネを外していたため状況が分からず、「パーティに来たんです」と説明しながらピアーズの方に進んだところ、玄関先、ピアーズから約2.5mの距離で射殺された。
私もこのAFSという団体 でドイツの高校に交換留学生として1年間滞在させてもらいました。その後、この事件が起こった1992年から大学生ボランティアとしてAFSで活動していたため、この事件は本当に衝撃でした。ボランティア仲間の中には、事件の犠牲者となった服部くんと、出発前オリエンテーションなどのグループで一緒だった人もいて、私たちにとってこの事件は単なる新聞やテレビを一時賑わせたもの以上の意味がありました。この事件が起こった時点ではまだアメリカを訪れたことがなかった私は、普通の家庭でも銃を携帯している可能性があるということをいやでも実感させられたり、またその後の陪審員裁判で銃を撃った男性が無罪になったことにとてもショックを受けたことを今でも覚えています。事件後には、アメリカの銃規制を強化するための運動が起こり、確か、ニューヨークのタイムズ・スクエアに「銃で死亡する人の数」が表示される電光掲示板が設置された時期もあったと記憶しています。
近年、アメリカでもハロウィーンに乗じた犯罪のニュースが聞かれるようになりました。 “Have a Safe Halloween” という挨拶を聞くたび、この事件を思い出します。今となってはアメリカ人にはほとんど知られていない事件となってしまったかもしれませんが、事件のあとに「悲劇を繰り返さないためには文化の違いを乗り越え理解を深めていく必要性がある」として、銃のない安全な日本社会を体験してもらうため米国の高校生を年に一人ずつ招こうという趣旨で設置されたYOSHI基金 (Yoshi Hattori Scholarship)は今でも続いていて、この時期に奨学生の選考が行われます。ハロウィーンという欧米のお祭り、そしてアメリカの銃文化を背景にして起きたこの事件について、私たちが次の世代に伝えていくことも、私たちにできる異文化交流、異文化理解の一助になることではないかと感じます。
10/25/11
前回の記事に書いた 「50/50」という映画で、癌の宣告を受けた主人公のガールフレンドが最初のうちは一生懸命彼の世話をしていたのに、あるとき浮気をしていることが発覚してしまう・・・という場面がありました。彼女はもう彼と一緒にいるのはつらすぎるから別れようという会話をする勇気がなくて、浮気という行動に出たのですが、このことについて夫に「彼女は浮気する前に彼に正直な気持ちを話すべきだったのでは?」と言ったことから、浮気をしていたら正直に言ってほしいか?という議論になりました。
例えば自分が死の床にあった場合、パートナーが昔浮気をした(あるいは現在している)という話を打ち明けてほしいだろうか?という夫からの問いかけに、まあ、明日死んでしまうなら知らないまま幸せな記憶を持って旅立ったほうがいいかもしれないな・・・とは思いました。ただ、逆に「自分が浮気という行動に走るほどその関係に問題があると思っていたら、知りたいとは思わないのか」と聞いてみたら、それは確かに、言ってほしいと思う、とも。
先日も「浮気と、相手の携帯電話を内緒で覗き見することはどちらが罪が重いか」 というテーマの記事を書きましたが、どちらにも共通するのは「(始めのうちは)パートナーに隠れてその行動をとる」という点です。どちらの場合も自分の気持ちを打ち明けたり、相手に直接問いかけたりすることを避けています。それにはさまざまな理由があるでしょう。よく男性側からは「自分の気持ちを打ち明けると彼女が感情的になり取り乱す」という声を聞くこともあり、聞かされる方(この場合は女性側)の取り乱したくなる気持ちも理解できるのですが、それでも、パートナーには、その関係についてどう思っているのか打ち明けてほしいものではないか・・・と私は感じます。多くのカップルは結婚に何を期待しているのか、結婚をどんなものだととらえているかということについて特に話すことなく、後になって認識のズレに驚いているという状況があります。結婚前や結婚直後の、まだ「何でも話せるような関係」でいるうちに、その関係にもし不満をもっていたら、お互いにどうしてほしいかということについても話題にできるといいのではないでしょうか。そこまであらかじめ話しておくことは難しくても、「話の最中に、相手が(あるいはお互いに)感情的になる」という経験をしながらもコミュニケーションをあきらめず、たとえば時間をおいたり、別のアプローチをしたりという試行錯誤を繰り返してでも、やはりそれでもなんとか理解する努力をしたいと思える相手かどうか・・・結婚前の交際とはその見極めのためにあるのではないかと感じます。
10/11/11
世界を変えたスティーブ・ジョブズが癌のため亡くなってからもうすぐ一週間になります。発明王エジソンなどと同じように「歴史上の人物」として名を残すことになった人ですが、その日以来多くの人が、彼が2005年に行ったスタンフォード大学でのスピーチを改めてシェアしていました。このブログでも「目標を持たない生き方」 という記事でこのスピーチに言及し動画を載せたところでした。
彼の人生哲学を形作った数々の要素のひとつとして、禅の考え方が深い影響を与えていることは良く知られていますが、この「死に直面した」という経験もそのひとつでしょう。かなりの確率で助からないから死を覚悟しなさいと言われ、人生の棚卸しをして「本当に大切なことは何か」ということがいやでも明らかになった・・・という経験。先日、夫と観にいった映画「50/50」もこのテーマを扱っていました。タイトルの”50/50”は、フィフティ・フィフティ、つまり「五分五分」という意味で、主人公が宣告された癌の助かる見込みを意味しています。
映画はシリアスなドラマとコメディの要素が絡み合い、深刻なテーマながら悲壮になりすぎず、ストーリーが淡々と展開されていきました。実はこの映画は主人公の親友役をした俳優(Seth Rogen)の実際の友人が25歳で癌になったという経験をもとに作られたのです。
感想を書くとネタばれになってしまうかもしれないので、映画についてこれ以上は書きませんが、多くの人は、病気になったり、身近な人の死を体験することで初めて(あるいは改めて)日常のありがたさを実感します。そして「この生は限られた時間である」ということも。実際に自分でこの死に直面する体験をしない(できない)としても、こういった映画を見たり、体験者の本を読んだり、現実世界のニュースによって、その人の生き様や人生哲学に触れることはできます。時には、今の時間がいつまでも続くかのような錯覚を「そうではない」と気づかせてくれる疑似体験をすることも、スティーブ・ジョブズの言った「自分はいつか死ぬことを忘れずにいる」 ために誰もが出来ることではないでしょうか。
09/28/11
アメリカの義務教育は、日本でいう小学1年生の前の「キンダー」という1年間から始まります。このキンダー入学を、子どもの誕生月によっては1年遅らせるという選択をすることができます。例えば、私の次男は11月末生まれなので、来年9月からキンダー入学もできますし、もう1年遅らせることも可能です(このあたりのカットオフの日は住んでいる地区すなわち管轄の教育委員会によって違うこともあります)。まだ1年先の話ですが、最近このことについて考え始めました。
私のもうひとつのブログ「成功する国際結婚の秘訣!「国際結婚一年生」著者:塚越悦子公式ブログ」 では何度かこの件について書いています。「キンダー入学を遅らせる理由」 ・「アイスホッケー選手に1月生まれが多い理由」 などの記事でも紹介していますが、キンダー入学を遅らせようと考える親には、もちろんそれなりの理由があります。特に、能力がありそうと見るや、より深い学びができる環境を与えようとするアメリカのようなところでは、入学した時点でクラスメートたちの中で一番年が上であることは、一見、子どもに有利な状況を与えているかのように思えます。実際スポーツの世界ではこれは大いにあてはまる仮定なのでしょう。
つい先日、友人がFacebookで紹介していたこちらの記事 を読んでみたら、この「遅らせることの利点」に反論する意見が書かれていました。“Delay Kindergarten at Your Child’s Peril” と題されたこの記事では、1年遅らせることが必ずしもよい結果をもたらさないということが述べられています。ほかの子どもよりも少し年上なためにあるように見えるアドバンテージは、小学校が終わるころにはなくなっていき、高校ではこれらの子どもたちは「モチベーションも低く、成績もよくない」傾向にあるのだとか。この傾向について記事の中では詳細に説明されていませんが、想像すると「小学校低学年のうちに、努力しなくてもほかの子より成績がよく、あるいはなんとかなってしまうという状況を経験してきたために、勉強の仕方を知らない(習慣がついていない)」などの理由になるのでしょうか。
1年入学を遅らせた子どもたちが世に出るころには、特に成績の面でも収入の面でも優位ということはなく、しかも社会に出るのが1年遅れるために、生涯に働ける年数(および収入)も1年分少なくなるとも指摘されています。つまり、スポーツの世界に見られるような「1年遅らせることの優位点」が、学業という世界ではそれほど見出せない、と結論付けられています。
また後半部分では年上の子どもがいるグループにいる(入学を遅らせない)ことのよい点として、「より成熟度が高い子どもと一緒にいることで、特に男の子は精神的にも成長できる」とも指摘されています。例えば、3歳から5歳の子どもで上に兄弟がいたら(かつ下に兄弟がいなければ)、兄弟ひとりにつき、半年程度の成長の促進が起こる傾向があるのだとか。我が家の子どもたちを見ていても、確かに次男は長男が日本語の宿題(ひらがなの読み書き)をしていると、横で一緒にやりたがり、まだひらがなをすべて認識していないながらも、鉛筆を持って一緒に文字を書こうとしています。モンテソーリ式の教育でも複数の学年にまたがった学びの状況を与えており、「XX歳だから~をしないと」というのは必ずしもあてはまらないという考え方をとっています。こちらの記事 では「学びというのは社会的な状況で起こるもの。自分の現在の能力を少しだけ超えたチャレンジのある状況で、人は一番学べる。自分がクラスで一番物知りという状況があった場合、得をするのは本人ではなくクラスメートである 」と結ばれています。カレンダーどおりに次男を来年キンダーに入学させるべきかどうか、少しまた考える材料ができました。